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ホワイトカラー化する社会 ~コミュ障達が織りなすサイコパス社会


ホワイトカラーと言えば聞こえはいいのだが、これはいわゆる『左脳系』の人たちであり、高学歴に見られる人たちとも言えるのである。
それゆえ世界は左傾化しているわけで、様々な社会システムが「左脳」によって生み出されている。


左脳は「言葉ならぬ漠然なもの」を判別し得ない。
それは主に「右脳」の役割であり、右脳が形のない漠然としたものをある程度明確化して、左脳が整理できるほどに「実像化」してやることで、左脳はそれらの情報を論理的な形式として整理できる。

だが、幼少期より右脳の機能を抑制され、左脳ばかりを鍛えられた脳は、漠然としたものを自ら処理できない。
ゆえに「最初から処理したもの」を『与えてもらわなければ』整理してゆくことが出来ないようになっている。



簡単な例にすると、鮮魚まるまる一匹渡されてもどうしようもない。
だから「三枚おろしをしたのちの身の部分だけ捌いた」ものをもらう。

つまりは『そういうことに慣れてしまった』ということなのである。


学校という教育の中で、常に「切り身」ばかりを与えられてきた『脳』は、「三枚おろし」をするための力を養えておらず、よって『なんでも切り身』にしてしまう。
なぜなら、彼らにとってはそれこそが『正解』なのである。


この「鮮魚を三枚におろす技術」が『コミュニケーション能力』なわけで、要はそれが「欠落」してしまっている。
だがそのことに気付けない。
それは、周りがそのような人ばかりだからで、コミュニケーションの取り方がすでに「切り身」ありきなのである。


自然界の海には当然「切り身の魚」などが泳いでいるわけもなく、実際は普通に魚が泳いでいるわけであるが、それは彼らにとっての「非現実世界」なのである。
彼らの現実はあくまで「魚は切り身」なのである。



つまりは「現実世界の認識」がすでに「現実」とは『乖離』してしまっているわけで、彼らにとっての現実は常に社会を、世界を「教育」という魚屋さんが三枚おろしの処理をした後の「切り身」なのである。

それゆえ「ホワイトカラー」と呼ばれる人々は「忠実」ととらえられる。
だが実際は「教える」という「切り身」でしか脳が処理できないからであり、その慣れ親しんだ「切り身」状態の情報こそが現実であり真実である。
だから「言うことをよく聞く」という『お利口さん』となる。
だがその実「切り身にして言わねば」わからないのである。


魚は鮮魚のままの姿で売っていれば、ああこれはサバだ、鯛だ、ホッケだとわかるが、切り身にして加工してしまえば「似たような身の魚は判別がつかなくなる」わけで、だから彼らもその判別が難しい。
かといって実際の姿のままの魚を渡されても処理できない。
そんなものを渡されるとどうなるのか?

【思考停止】である。

思考停止して「どうしよう」と考え途方にくれる。
そんな時、「切り身」を渡してやれば喜んで飛びつく。

非常にコントロールがしやすいわけで、だからそういった人々を「教育」の中で育んできたのである。



コロナのパンデミックはまさにそれであり、現実を見極める力を失った人々に「しかるべき情報」という「切り身」を与えてやるだけでいい。

いつものスーパーで売っているパックされた切り身という「安心感」で、かれらはそれを「現実」とする。
実際の現実と「見比べる」などという能力は、とうに失われているのである。

だから、まず医師たちが無条件に切り身を受け入れ、しかるべきルートを通って流通された切り身を一般の人々も「無条件」で受け入れる。
それこそが唯一の「現実」であるからだ。
鮮魚という現実の有り様を見せられても、どう処理していいかわからないのである。


だから、実際の人と人との「ふれあい」も、「教えて」もらわなければならないほどになってきている。
いちいち道しるべを立て、いちいち道の歩き方、進み方を教えてやらねばならなくなってきている。
言わば「ナビが無いと目的地へたどり着けない」状態なのであるが、それに気付いていない。
どんどん「現実世界」と『乖離』してしまっていることに気付いていない。

だからおかしな「法律」という道案内があちこちに現れている。

【留守番は虐待】などという現実から乖離した発想が出てくる。
【LGBT】などという現実コミュニケーションが取れないからこそ現れる法律なども生まれてくる。

おおかたのスピリチュアルというものも「それ」である。
なんだかわからない「切り身」を受け取っているのだが、現実の判断を失っているからわからないし、なにより「それでいい」のである。


現実世界とのコミュニケーション能力を失い、人の「気持ち」という形の無いものを理解する能力を失った世界は、人が「切り身」になった世界である。
人の環境や気持ちや様々な目に見えないものが「切り身」という形態に置き換えられ、そこではじめて「理解」出来るという、ある意味これは「サイコパス」となるのである。

人の感情や行動の意味を理解できず、それはそのまま自分自身への理解にもつながる。
自分が怒っているのか喜んでいるのか恐れているのか悲しんでいるのか・・・
それすら理解出来ていなかったりする。


これは何も「特別」な人のことを言っているのではない。
何処にでもいる多数の人のことである。

怒りの根っこに悲しみがあるとか、喜びの根っこに恐れがあるとか・・・
ほとんどの人は気付いていない。

何故気付かないか?

【右脳】が『馬鹿』のように機能できなくされてしまっているからである。


魚は「捕獲」するところから
野菜は「育てる」ところから
情報は「収集する」ところから

それが「現実」を知るということ。

そこが欠落しているから「コオロギ」も『タンパク質』だという論理に至る。

思考がすでに『サイコパス』なのである。




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