情熱の裏に
熱量がある人は素晴らしい。
それについてかける想いが段違いで、熱中してやり切る。この繰り返しで人は急激に成長していくと思っている。
が、一方で情熱の裏で価値観が固定されてしまうことがある。視野が狭くなるという意味でだ。
情熱がある人は自分の信念を持っている人が多い。行き過ぎると信念が強すぎるあまり、他人の意見をまったく受け付けなくなる人がいる。斜に構えるのとはまた違って、自分が第一に正しいと思ってまったく譲らなくなるのだ。相手の意見を聞かない、批判されたら否定だと思って受け取る。
それは信念を持っているのとは少し違うと思っている。悪い意味で頑固なだけだ。可変と不変がごっちゃになっている。信念として変えては行けない最後のところと、信念に基づいて素直であることは、まったく意味合いが違うと思う。
僕も含め段々と年齢を重ねていくと素直さがなくなってしまうが、一方で若くても頑固な人もいる。良いのか悪いのかはその人の状況次第だけど。
どのみち、自分という人間として絶対に譲ってはいけない信念は曲げず(でもたまにアップデートするが)、変えてもいい「余白」的な部分は何歳になっても残し続けたい。
少年の心を持ち続けるとは、好奇心と素直さだと思う。
酔いを冷ましながら三茶の道端にあるベンチで書きました。
ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。