圧倒的な偏愛を応援できる人でありたい
先日こんなツイートをした。
僕が勤めるookamiのインターン生が書いているラグビーnoteで、なんとこれで27記事目とのこと...!関東圏だけでなく遠方まで、ときには国外まで足を運びラグビーを観戦している。
こうやってnoteにアウトプットしつづけているところも、素直にすごいと思う。ふだんからラグビー愛に溢れていて、ラグビーが本当に好きなんだろうなぁと伝わってくる。
ここまでできるかいな。
スポーツを好きになるアプローチはいくつかある。
・自分がプレイしていたから好き
・観戦するのが好き
・選手がかっこいい/かわいいから好き
僕はどの角度からスポーツを好きになってもいいと思っていて、熱量も人それぞれで良い。彼女は圧倒的熱量で、ラグビーが好きなのだ。ただそれがすばらしい。
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スポーツに限らず、その領域に長くいる人から「にわか」と言われることがある。知識量が少なかったり、好きになる角度が違ったりするだけで。
正直どうでもいい。「好きになること」に関して大切なのは、本人が納得して楽しめればいい、人がとやかく言うことじゃない。
また、出る杭は打たれるという言葉があるように、目立つと叩かれたり呆れられることもあるかもしれない。
最近、圧倒的な偏愛を持っている人が伸びていく姿をよく見てきた。あまり「これからの時代は」と語るのは好きじゃないけど、これからの時代は生き方に正解がない。様々な人が、様々な文脈で話している。
僕が会ってきた人の中で、圧倒的な偏愛を持つ人は魅力的な人ばかりだ。なにかに突き抜けると、人間としての深みも出るのかな。
だからそのまま好きであり続けて欲しいし、僕は圧倒的な偏愛を応援し続ける人でありたい。
それでは。
P.S. Wasei Salonの鳥井さんも、以前こんなことを言っていて、僕も勇気をもらっている。
ありがとうございます。本を読むのに使わせていただきます。