性格のせいで合格できない___誰もそこまで言ってくれないマジ大事なこと

性格のせいで合格できない!? 誰もそこまで言ってくれないマジ大事なこと

合否に性格なんて関係あるの? と思ったアナタ。そこはあえて避けて言わない人が多いので、まさか性格が関係してるとは考えられなかったのでは? 実力あっても不合格になるのはまさかの性格のせい?

■ 「アンタこそなんて性格悪いの!」

「勉強のセンスがあって努力もして実力もついたのに合格できない。いったい何なのー!」と嘆いたことはありますか?

実際にはそういう経験はあまりないでしょう。不合格だったのは自分の努力が足りないとか実力が足りないとか、謙虚に考えるのがよくあることだからです。

他人に不合格の原因を指摘されても、それが努力不足や実力不足であれば「そんなことは自分でもわかってるよ」と思いつつもなんとなく納得しやすいでしょう。

ところがしっかり努力もしたし確かな実力もあるのに不合格だったのは「あなたの性格のせい」と言われたらゼッタイに納得したくないでしょう。

「合否に性格を持ちだすなんて、アンタこそなんて性格悪いの!」と怒るかもしれません。

でもちょっと待って。いったい誰が「おまえの性格が悪いからだ」と言いましたか? そんなこと言われてませんよね。言われたのは「(あなたの)性格のせい」ですね。

意外な理由を指摘されてつい、相手に「性格が悪い」と言ってしまうそれこそが「性格のせい」であることを端的に表しているのかもしれません。

■ ぜったいに来てほしくない「その時」がチャンス

仮に「あなたの性格のせい」と言われてカチンときたとしましょう。それできっと嫌な思いをしたでしょう。その時の感情のおもむくままの言動に注目すべきです。

なぜなら、これを「不合格通知を受け取ったとき」に置き替えてみると、自分を知るきっかけになるからです。

……不合格。誰だって嫌ですよね。そういう思いをしたとき、どのように反応するでしょうか。

落ち込むのはよくありますね。俄然闘志が燃えてきたというのもあります。

一方で「ホント腹が立つ。フザけんな。どれだけ時間も労力も費用もかけたと思ってんだ! クソがッ!」と憤慨したことは?  程度の差こそあれ、少しはそれに近いことを思うのは誰にでもありますが、こういった思いばかりだとしたら、それが本当の自分の姿かもしれませんよ。

普段は温厚で優しい人でも、思い通りにいかなかった時に、その許容範囲を超えると本性が出るというわけです。

コツコツ真面目に努力を続けてきた人だっていつか報われると信じているからやってこれたワケです。その「いつか」が自分が想定する範囲をいよいよ超えたときに自分がどういう反応をするのか?

そんなこと考えたこともなかったとか、考えたくもないとか、そんなこと考える暇があるなら勉強するとか、そのどれでもかまいませんが、難易度が高い試験や合格率が低い試験になるほど「その時」は避けられないものです。

ぜったいに来てほしくないその時を経験しなければ本当の自分を知れず、本当の自分の片鱗でも知らなければ従来のやり方を変えられないものです。

合格できるやり方にシフトするチャンスに巡り合うには「その時」はたいへん有効であり、人によっては避けては通れないものなのです。

■ 他人はそこまではなかなか言及してくれない

長い間同じ集団や組織に属してそれなりの役職を得ると、周囲の誰にも注意されなくなることがあるでしょう。傍から見ればやってはいけない異常なことでも、誰も叱ってくれないので放っておかれるそれです。このため部下や取引先はたいへんな迷惑をこうむり続けるのですが、当人は一向に反省するそぶりはなく、その必要性を微塵も感じていないそれです。

人は二十歳を越えたら九死に一生を得るようなことでもない限り、まず変わりません。必要性を感じないからです。

他人に嫌な思いをさせることには鈍感で(または快感で)すが、自分が嫌な思いをすることには敏感です。

そういう歳の取り方をした人が、人生をかけても合格できるかどうかわからない試験を突破するには、まずは本当の自分の片鱗ぐらいは知らなければなりません。目を背けてきた、認めたくない自分と向き合わなくてはなりません。

「性格のせいで合格できない!?」というのは、そういうことなのです。

勉強の素質も習慣もある。勉強もできる。学習センスも良い。地道な努力も継続できる。突破が十分望めるほどの実力もある。なのに合格できないのは「性格のせい」だと他人にはっきり言ってもらえる人は幸せ者です。

ところがそうとはっきり言ってくれる他人に恵まれている人は稀ですから、自分で「性格のせい」であると認めなければなりません。でもぜったいに認めたくない部類のそれですから厄介なのです。

嫌でも厄介でも認めざるを得ない経験をしなければまず無理です。どんな経験か? それは想定をはるかに超えた時点での不合格です。

超難関資格試験はさておき、難関まででしたら誰でも諦めなければ合格できます。これは私だけが言ってるのではなく、多くの合格者たちがよく言うお決まりの言葉です。

この「諦めなければ」の内訳のひとつに「自分の性格のせいだと気づいて素直に認めること」があります。そこまでは他人はなかなか言及してくれません。でもこれは本当に大事なことです。

なぜなら、なかなか合格できない、または一生合格できない(可能性が高くなる)大きな理由のひとつだからです。

今回のnoteは以上です。お読みくださりありがとうございました。

あなたが合格しますように。


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