若新 雄純

東京・福井の二拠点で活動・生活し、㈱NEWYOUTH代表、慶應義塾大学特任准教授など兼…

若新 雄純

東京・福井の二拠点で活動・生活し、㈱NEWYOUTH代表、慶應義塾大学特任准教授など兼任。社会実験的なプロジェクトや研究活動をいろいろ企画・プロデュースしてます。テレビ朝日・ワイド!スクランブル、TBS・Nスタ、ABEMAPrimeなどに出演中。 今も思春期。

最近の記事

NFTとバケモノ性 ~その魅力にほどほどに取り憑かれてみる~

ついに先日、先輩からのススメでついに「NFT」なるものを購入してみた。詳しくは書かないけど、著名な作家たちが業界に縛られずに自由に新しい作品をつくっていく、それをみんなで応援しようプロジェクト!という感じ。ぶっちゃけNFTもWeb3なるものの全体像もよく分かっていないのだけど、その作家さんたち作品のファンだったし、なんだかすごく魅力的だったので参加?してみた。 著名な作家さんたちが集まっているという一定の信頼感はあるものの、もちろん、プロジェクトがうまくいくっていう保証はな

    • 夢は叶えるものじゃない、見続けるもの

      ここのところ「空飛ぶ◯◯」がアツいらしいです。 僕も地元福井の山奥で、廃校を活用したドローンライセンスの学校を運営しているので、こういうニュースはちょっと気になります。 日常レベルで実用化されるにはまだまだ時間がかかるんでしょうが、記事にも『沈滞感が漂う日本の産業界にとっても「まだやれる」との希望の象徴になった』と書かれているように、空にまつわるビジネスにはなんだかフワっとした「希望」なるものがあふれているようです。 そういえば、僕の運営しているドローンスクールでも、受講

      • 受験対策なんて外部化し、学校は存在意義を捉えなおそう

        かつてAO入試と呼ばれた総合型選抜や推薦入試が広まって、その対策を民間の塾が高校に「出前」するようになり、高校の存在意義が問われている、というこちらの記事。 専門家のみなさんもいろいろコメントされていて、注目度が高いようだ。 僕はこの記事には、いろいろ「?」があった。 まず、そもそも公立高校の存在意義というのは、民間の受験対策塾に取って代わられるようなものだったのだろうか、ってこと。 各地で「進学校」と称されている公立高校のほとんどは、特別に受験対策を行うことを掲げて歴史

        • いま流行り?の「学び直し」は“歪み”の自己発見

          最近、大人の「学び直し」なるものが流行っているそうだ。リスキリングとか、それを提供する機会のことをリカレント教育と呼んだりするらしい。 日経の過去記事も、「学び直し」で検索してみるとたくさん出てくる。たとえば、ちょうど1年くらい前のものだけど、週休3日制の話題に合わせて、社会人が学び直すためには、もっと休日を増やす必要があるんじゃないか?というようなことが議論されている。 この記事では、ちょっとした調査をもとに、休日を増やしても学習意欲は高まらず、日々の仕事の中でこそ学び

        NFTとバケモノ性 ~その魅力にほどほどに取り憑かれてみる~

          「要点」のために愛すべきムダと余白がある

          「簡潔にすること」と「要点を抑える」ことはぜんぜん違う 僕の中での2022年の個人的テーマは「冗長にいこう」だ。ダラダラとおしゃべりしながら考えをまとめたり新しいことを発見したい僕は、なんでもかんでも簡潔にして要点だけ先に知れる方がお得だよね賢いよねっていう変なムードに反抗中。 このあいだ仕事仲間に、「冗長にいく!とか言ってるわりには、抑えるべきポイントというか、要点にこだわるよね」とツッコまれた。それで、ちょっと考えてみた。自分なりに整理できたことは、「簡潔にすること」

          「要点」のために愛すべきムダと余白がある

          その雑音は、誰の音? ~隣人の存在感を許せるか~

          防音室が売れているらしい。 マンションなど集合住宅の自宅で、ギターなど楽器を演奏したい人たちが、ご近所とのトラブルを懸念し「音始末」のために買っていくそうだ。最近は、アコースティックギター(電気アンプで音を増幅しないタイプ)の演奏も、気を使って防音室で練習したいというニーズがあるらしい。 そういえば、僕は中学時代にエレキギターやドラムセットを買いはじめ、夜な夜な練習に明け暮れていた。実家はど田舎の山の中で、お隣さんとも田んぼや畑をはさみ、四方とも数十メートルは離れていた。

          その雑音は、誰の音? ~隣人の存在感を許せるか~

          人材か人財かの微妙な議論、あえて乗るなら「人在」が好き。

          若新(わかしん)と申します。このたび、日経COMEMOのnoteコラムを書かせていただくことになりました。まずは月に1本。遅筆で〆切をまもれない自分への新しい日課(月課?)を楽しみたいと思います(大げさ)。 基本的には日経新聞(電子版)の記事を参照しながら自由に意見してみてね、ということなのですが、今回は、これがちょっと気になりました。 人材じゃなくて人財だ、みたいな話は、僕が大学生のころからありました。だけど、はたらく人々のことを財産のように大切にしよう、というようなち

          人材か人財かの微妙な議論、あえて乗るなら「人在」が好き。