夢は叶えるものじゃない、見続けるもの

ここのところ「空飛ぶ◯◯」がアツいらしいです。
僕も地元福井の山奥で、廃校を活用したドローンライセンスの学校を運営しているので、こういうニュースはちょっと気になります。

日常レベルで実用化されるにはまだまだ時間がかかるんでしょうが、記事にも『沈滞感が漂う日本の産業界にとっても「まだやれる」との希望の象徴になった』と書かれているように、空にまつわるビジネスにはなんだかフワっとした「希望」なるものがあふれているようです。

そういえば、僕の運営しているドローンスクールでも、受講生は意外と?50代・60代のシニアの方が多くて、みなさん今すぐに具体的に仕事や活動につながるというわけじゃないのに、何か新しいことができそうな気がして希望を感じる、と言うんです。

日本ではドローンの法規制はかなり細かくて厳しいので、ライセンスを持っていたとしても気軽にブンブン飛ばせるような感じじゃないし、非日常な特別感で「あったら面白い」ものだけど、まだまだ「ないと困る」ものじゃないんですよね。だから、ドローンがあれば稼げる!なんていうのはきっとだいぶ先の話。だけど、重力に逆らって浮くんです、飛ぶんです、鳥目線の画像がとれるんです。まさに、なんか希望を感じる。

今すぐ役に立たなくても、もうちょっとで手が届きそうな未来でなんだか新しいことがたくさん体験できそう・つくれそうなものには、お金や時間を投資しておいても、それを待つだけワクワクする。実態以上にお金も集まり、少なくともハッキリとした結果が出てしまうまでは、それを追いかけるという力学でマーケットが成り立ち、そのプロセスに仕事も生まれたりする(僕のやってるスクールなんてまさにそれ)。

だから、空飛ぶ◯◯系のことは、このままずっと法規制も厳しいままで、あと一歩技術が足りないままで、ギリギリ実用化しそうでできないくらいのところを「希望」のまま助走しておいてほしいなって思うんです。僕たち人間社会にとっての仕事って、もともとはそういうことがたくさんあったと思うし、何でもかんでもちゃんと結果がでてしまわない方がいいんじゃないかな。

「夢は見るものじゃない、叶えるものだ」なんて言う人いるけど、僕はそれあんまり好きじゃない。むしろ、夢は叶えるものじゃなく「見続けるもの」であってほしい。それが、人間にとっての希望と呼べるものだと思うんです。ドライな現実に癒やしを与えてくれる、砂漠の蜃気楼のようなもの(それは言い過ぎか…)。とにかく、それに近づくためにならエネルギーを振り絞れる。生きる!という感じ。

今後もし、もっと日常的に「空飛ぶ◯◯」を見かけるような社会が叶ったとしても、みんなが使えるわけじゃないし、みんなそれで儲かるわけじゃないし、期待しているほど社会問題が減るわけじゃないと思います。新しいトラブルも増えるでしょう。熱はさめ、淘汰され、本当に必要な・実用的なものだけ定着する。それでいいと思うんです。その一歩一歩が社会の進化というものでしょう。そして、また別の新しい希望を何かに見出す。

でも、今はしばらく、みんなと一緒に「空飛ぶ◯◯」に夢を見続けていたいと思います(福井のドローンスクールでお待ちしています笑)。

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