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教師のための「支え方」の技術

1年前に自分が書いた「はじめに」を載せます。この本には「教師の役割」について私が考えていることをたっぷりと書きました。気づいたら分厚い本になりました。

何度も読み返しておられる方がいるようです。そんな方とぜひお話しできればうれしいです。一緒にあれこれ考えたいです。ボク自身、まだまだ試行錯誤の毎日です。

「いっしょに考える」「いっしょに試行錯誤する」をどう実現していくか。ここは自分の中での課題です。がんばります。

以下、「はじめに」です。

初任の頃、私は「自分の思うように授業を進める」教師でした。「子どもたちの成長」や「よりよい学び」が大事なのはわかっていましたが、とにかく子どもたちが「つまらない」と思わなかったり、荒れなかったりするような授業を成立させるために必死でした。「教師のいらない授業」「子どもたちの学びを支える」なんて程遠いものでした。

本当に「子どもたちの学び」に注目するようになったのは、国語教師竹の会に所属してからです。竹の会は、奈良女子大学附属小におられた今井鑑三先生を中心に立ち上げられた会です。私が小学校五・六年生の時の担任の先生だった川端建治先生が現在代表をされており、教師一年目の後半から参加するようになりました。

私がずっと大切にしているのは、今井鑑三先生の次の言葉です。

・子どもが生きる授業は、子どもが生きている証を表出するものである。子どもが自由に、主体的に、個性的に、思うこと、感じること、考えることを自由に生き生きと述べられることが必要である。

・生き生きと取り組む子どもは、自分の考えを持っている。また、他の子どもを一人の人間として認め、尊敬する子どもである。そして、お互いに励まし合い、練り合い、高め合い、磨き合う子どもでもある。

・子ども自らが読み、考え、まとめ、話し合い、励まし合い、認め合い、磨き合って、自己を越える学び合いが行われる授業になるように改善していきたい。

この言葉を、何度も読み返しながら、「どのように『子どもが生きる』授業ができるか」「どうすれば子どもたちの学びを支えられるか」と考え続けています。「こうすればよいのではないか」ということが見つかったと思っても、すぐに「まだまだ分からないことがあるな」「子どもたちはこんな姿も見せるのか」と学び直す日々です。

「子どもたちが学ぶとはどういうことか」「教師の役割とはどのようなものか」について、読者の皆様と一緒に考えられれば有り難いです。どうぞよろしくお願い致します。


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