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死にたいんじゃない、生きていたくないのだ。

死にたいほどつらい日々ではないけど、ただ思うときがあるんだ。

私は生きているのではなく、死んでいないだけかもしれない。そして、死にたい訳でもなく、ただ生きていたくないと願っている。

この鼓動が止まることを渇望している訳ではない。誰かがビルから飛び降りたニュースは他人事だ。自分の心臓をナイフで刺すための握力すらない。明日も私は変わらず目を覚ます。

ただ、思うときがあるんだ。
この混沌と続く毎日に終止符を打って、私はみんなの記憶から消えて、ここじゃないどこかに逃げてしまいたいという願ってしまうときが。 

この「死にたい」でも「生きたい」でもない、名前のつけようのない気持ちはどんな言葉で表せばよいのだろうか。表せたその先には、何が見えるのだろうか。

灰色の絡まった糸くずのようなものが、胸の中でがさごそと音を立てている。

死ぬだの生きるだの。
人間が手を触れられない世界に不覚にも顔を覗かせてしまった、「死んでいないだけの人」がこの世にどれほどいるのだろうか。少なくても私はその一員かもしれない。

この社会から、この家族から、この日常から、もう「今ここ今この瞬間」から逃げて、消え去りたくなる。そして逃げたという現実からも逃げてしまいたい。

できることなら、逃げても逃げてもついてくる自分からも逃げたいと願う。

逃げたくなればなるほど、自分が逃げたことによる大切な人たちの悲しみからも逃げたくなる。誰も自分を愛していないと嘆くくせに、自分がいなくなって他人に迷惑をかけることを心配する矛盾にようやく気がつく。 

私は、「大切な人を困らせたくない」という矛盾した言い訳で逃げる選択をしない弱虫だ。

そんなことを考えていたら日が暮れていて、今日と続く明日が顔を覗かせている。私はきっと、あそこから迫ってくる明日を死なずに、あるいは生きていないんだろう。

あぁ、めんどくさい。どこかに消えてしまいたい。こんなことを言いながら結局死なない私は、本当につらい人に失礼なのだろうか。そんな知らない誰かへの申し訳なさで声が出なくなる。

「本当につらい人」が誰かも知らないのに、テレビに映る悲痛なニュースを横目に、こんな中途半端で見苦しい自分に小さく鼻で笑ってやった。

顎上までどっぷりと沼に沈み、かろうじて息をしている状態で、自分の体が重くなっていく感覚だけが伝わってくるのだ。

この言葉にならない「死にたい」でも「生きたい」でもない、灰色の世界にいる私は嘆くことすらできない。ここに理由も言葉も存在しないからだ。ただ存在するのは混沌と続く灰色の日常と、死んでいないだけの中途半端な私。

私はどこに逃げたいのか.........今じゃないどこかに逃げてしまいたい。そんな漠然とした言葉しか出てこない。ただ、「もう何が何か分からないほどに分からない」ということは確かなのかもしれない。

そんなことを思いながら、この顎上まで浸かった沼から出る方法も、沼の外の世界ももう、忘れてしまった。

私はきっと弱くて、死にたいどころか輝く自分に手を伸ばし続けているだけ。そんなことも分かっている。

「生きていたくない」という中途半端に縛られることで、私は私を証明しているのかもしれない。死でも生でも語り尽くせない私でいたいのかもしれない。

そして、きっと、このどうしようもない感情を包み込んでる誰かを待っているのだ。

💙💜

※過去の感情をもとに書いています

竹口 和香(たけぐち わか)

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