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あなたは友だち?

プライベートで人と会っていると、ときどき気になることがある。
この人は、どうして今ここに私といて、会話をしているんだろう。
この人にとって、私は友だち?知り合い?仕事仲間?

私はよく自己開示をする。
何かを聞かれたら、それがハラスメント行為ではない限り、すべてを答える。
無理にそうしているわけではなくて、私にとってはなんでも答えたほうがラクなのだ。

私が自己開示をすると、相手も「ほかの人には言ってないんだけど」と話し始めることが多い。
私は口が堅いので、信頼してもらえている証拠だと考えると嬉しい。
だけど自己開示をし合った私とその相手は、友だちになれたのだろうか。

20代まで私は、友だちを大切にしてこなかった。
恋愛や仕事を優先して、うつを患ったときはどうしても外に出れず、ドタキャンを繰り返して関係が途絶えた友だちも多い。
「ごめんね、今、心が辛くて」
その一言を相手に送ろうとして、やめたことがある。
心が弱い人とは、いっしょにいたくない。
そう思われるのが怖かったのだ。

つまり、私は友だちを信頼していなかったのだ。

就職を機に、私を取り巻く環境は変化した。
恋愛に夢中になった私は、友だちのアドバイスに反する行動をとって、何度も友だちから叱られた。
やがて私を叱る友だちがほとんどいなくなったとき、妙なうわさを耳にした。

「理央ちゃん、妊娠してて父親がだれかわからないんだって」

女性の同期から同期へ、うわさは伝わっていく。
私は何も知らないまま仕事をしていたのだが、ある日、妊娠して退職をした同期の女性・Fちゃんから電話がかかってきた。
よく私は彼女に仕事や恋愛の相談をしていた。

電話に出るなり、彼女が怒っているのがわかった。

「ずっと相談にのってきたのに、そんな感じなん?」
「そんな感じって?」
「知らんの?噂されてるよ」

何がなんだかわからない。
話を聞いて驚愕した私は、それが事実ではないことと、誰から聞いたのかたしかめた。

Cちゃん→Dちゃん→Fちゃん

ここまでわかった。
「もう、同期みんな、怖い」
Fちゃんはそう言って電話を切った。

さて、噂の出どころはどこだろう。
私はCちゃんと仲が良かったので、今度は彼女に電話した。そして「どうして教えてくれなかったん」と言った。

Cちゃんは沈黙した。
入社1,2年目のころは、毎日のように仕事帰り一緒に遊んでいたCちゃん。
私はCちゃんの好きな人が自分に好意を持っていると知っていながら、彼と距離をおくことをしなかった。
いい男友だちになれたら、と思っていたのだ。
相手は私に好意を持っているから、男友だちと思っているのは私だけなのに。

Cちゃんはだんだんと、私と距離をおくようになった。
そのCちゃんがぼそっと言った。
「Bちゃんから聞いたよ。BちゃんはAちゃんから聞いたみたい」
おいおい、とつっこみたい気持ちを抑えた。
CちゃんとBちゃんは仲が良い。
だけどAちゃんはぶりっ子で苦手だと言っていたではないか。

そういえば、当時の私もぶりっ子だった。
CちゃんとBちゃんは、私のことも嫌いだったのだろう。

沈黙のあと、苦笑しながらCちゃんが言った。

「理央ちゃん、私のこと疑うんやね。あんなに仲良かったのに」

疑うというか、噂を聞いた時点で教えてくれなかったではないか。
もはやCちゃんとの信頼関係はなくなっていると確信した。

とにかくA→B→C→D→E→Fと、Fちゃんの耳に入るまで私が噂されていることを誰も教えてくれなかった。

20代の私は、Aちゃんとふたりで話をすることにしたのだが、Aちゃんは私に会ったとたん、泣き出した。
何を聞いても「ごめんね」としか言わない。
かみ合わないまま、私とAちゃんは仕事以外で会わなくなった。
Bちゃん、Cちゃん、Dちゃん、Eちゃんとも。

今思い返すとツケがまわってきたのだ。
友だちを大切にする。その意味をはき違えていた私は、上記のFちゃん以外の5人に嫌われていたのだ。

20代半ばだった私は、ただ怒るだけで、それをいやな記憶として胸にしまいこみ、やがて転職した。
あのころの同期で今も気軽に連絡をとれるのは、そのうわさを知らない子と、Fちゃんだけである。

さて転職した私は東京に行った。
数年経ち、私も当時の彼氏と婚約したころ、結婚式の招待状が舞い込む。
いわゆる結婚ブームだ。
「関西、四国、九州……」
東京で収入の少ない私に、結婚式のお祝儀も交通費も払う余裕はなく、欠席に〇をした。

婚約者は言った。
「友だちなくすよ」
実際に、欠席した結婚式の新婦たちとはそれきり会っていない。

時を現在に戻す。
本を読んだりSNSを見たりしていると、みんな「友だち」どころか「親友」という言葉をよく使っている。
一度会って気が合い、また遊ぼうと約束した人が、他の人を「親友」と呼んでいるのを見て、当たり前なのに寂しくなる。

私にはもしかして、仕事仲間か知り合いしかいないのではないだろうか。
友だちのように接してはいるが、「理央ちゃんにしか言えない話」を打ち明けている人にとって、私は友だちだろうか。

私は、「友だち」の学びなおしを始めた。
優先的に学ばないといけないのは、大切にすること。
大切ってなに?
まず自分自身に問いかけることが必要だったが、答えはすぐにわかった。

友だちと思わしき人が悲しいときに、相手の気持ちになることだ。
寄り添ってほしいのか。
今はそっとしてほしいのか。
メールをしたほうがいいのか。

私は20代後半でうつを患って以来、傷ついている人に敏感になった。
そしてその傷ついている人が誰かに苦しめられていると知ったら、その誰かに怒りを感じるようになった。
そしてちょっとでもラクになれるようなアドバイスができるときはして、できないときは「私は味方だからいつでも連絡してね」と言っている。

プライベートのドタキャンも気にしない。
心が疲れたときは、話したくなくなる日、会いたくなくなる日もあるだろう。
※あくまでもプライベートです。仕事ではありません。

相手が私のことを友だちだと思っていても、思っていなくても。
私は相手が何を求めているのかを感じ取り、相手のための言葉を発する。

そうして30代の私は、友だち作りのレッスンに励んでいる。
友だちは100人もいらない。
ただ少数でも、大切な友だちと、信頼関係を築きたい。

友だち作りの学びなおし。
これが成功したかどうかの答えは、きっと40代になってからわかるのだろう。
アラフォーとはいえ、まだ30代のうちは、友だちについて学びなおしたい。
いつか心が疲れた時に私に電話してくれるような、そんな友だちがほしい。
いや、ほしいではなくて、誰かにとってそんな自分になりたい。

学びなおし。
この言葉を聞いて、私がしっくりきたのは、「友だちを大切にして信頼関係を築くこと」だった。


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