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わかおの日記186

ずいぶん久しぶりに日記を書く。なんでこんなに日記を書いていなかったかというと、もちろん彼女にうつつを抜かしまくっていたからだ。試みに書いていたいくつかの文章も、主に彼女についてのもので、その鼻の下が伸び切った文章たちが軒並み面白くないため、ここには載せられなかった。「こいつ本当に彼女のこと好きだな(ニヤニヤ)」みたいな面白がり方はできるのかもしれないが、それは本意ではないし、彼女のために書いた文章なのだから彼女だけが読めばいいと思う。

少し前に、同じ専攻の仲間たちで「無頼派三羽烏」といういかにもな名前のグループを作った。春休みの間、三羽烏たちは各々の活動に精を出していたのだが、そろそろ集まろうという話になり、ぼくの提案で文学カレー会が開催された。

文学カレー会とは、「カレーは文学の一種である」という独自の信念に基づいて行われる高尚な催しだ。カレー(文学)を体内に取り入れながら文学の話をすることで、文学を高濃度で身体に取り込み、私たちの体は純然たる文学と化すのだ。文学を崇めよ、文学に帰依しなさい。

まあ平たくいえば家でカレーを食べながら酒を飲むだけの会である。お酒も入るので話は盛り上がり、楽しい催しとなった。こういう時に必ずうちの母親も混ざって、場を盛り上げてくれるのだが、三羽烏のうちのひとり滝くんの落語トークが母に大ハマりし、普段よりも母が楽しそうにしていてよかった。こういうときの母親のトーク力には目を見張るものがあって、どうしてあんなに教養がないのに、話題にも困らず、ずっとおしゃべりしてられるのだろうかと感心した。伊達に47年生きていない。年輪を感じた。途中から酔いの回ったぼくは、騒音を撒き散らす弟が帰ってきたこともあってかなり口数が減ってしまったが、その間も彼らは母親と楽しくお喋りしていた。母親がいてよかったとおもった。

帰り際に滝くんも田村くんも口を揃えて「若生くんのお母さんはすごいね」と言っていたので、本当にあの人はすごいんだと思った。無学でもトークスキルがあれば人生なんとかなるのである。

ぼくの彼女も、圧倒的な教養があったり特殊な趣味があったりするわけではないのだが、話していて楽しいし、会話が途切れることが少ない。そういう意味では母親に似たものを感じる。あと年輪が30本くらい刻まれたら、彼女も母親のようなトークマシーンになるのだろうか。それはそれで見てみたい。

ココシャネルかなんかの名言で、「女は40歳からが面白い」というのがあった気がするが本当にそうだと思う。着地点がみつからない。謎におばさん好きなのをカミングアウトしてしまっただけな気もするがまあいいか。


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