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わかおの日記187

最近バイトを始めた。吉祥寺では知らない者のいない「まめ蔵」というカレー屋だ。こう毎日彼女と会っていてはお金がないし、どうせ働くなら好きなカレー屋で働いたほうがいいだろうという安直な考えである。愛してやまない「もうやんカレー」の面接にも行ったのだが、面接に行っただけでわかるヤバそうな雰囲気に気圧され結局1回も働かずに飛んでしまった。

カレー屋の仕事は思ったよりも大変だった。入る前はカレーをご飯によそうくらいの仕事しかないんじゃないかと思っていたのだが、いざ研修に行ってみると仕込みやらドリンクの作成やら皿洗いやら卒倒するほど覚えることが多く、まだ3回しか出勤していないのに絶望を覚えている。免許合宿に行って、修了検定の説明をされたときも同じように絶望したのを思い出した。「こんな複雑なコース覚えられねえよ」みたいな。

親から3個同時に頼み事をされたら発狂してしまうような、なによりもマルチタスクが苦手な人間なので、この仕事はかなり向いていないと思う。しかしまめ蔵の人達はみないい人で、居心地はいい。本当に駄目になるまではがんばって続けてみようと思っている。

4月から3年生になるからか、周りが何となく焦っているのを感じる。それをぼくは対岸の火事のように傍観しているけれど、冷静に考えたら血の気が凍るほど当事者なのでぞっとする。ぼくは小学校からの積み重ねのおかげで(洗脳か?)授業には真面目に出るし、課題などはきちんとこなす人間だけれど、就活に対する意識が恐ろしく低い。彼女も親に口酸っぱく就活について言われて、とうとう「自己分析やらなくちゃ、、、」とか言い出したので、多分世間一般の大学生は就活に向けて着実に動き出しているんだろうが、ぼくは全く焦っていない。動かざるごと山の如しである。

多分心のどこかに「自分は何とかなるだろう」という根拠のない自信があるんだと思う。これは今まで培ってきた自己肯定感の賜物で、親や友達や彼女に感謝しなくてはならないと思うのだが、実際何とかなるのか考えた時にどう考えても何とかならなそうで、そのことを考える度に、悪夢を見た時のような「詰んだ」感じを覚える。そうするとすぐにそれに蓋をして「駄目な宗ちゃん」に戻るのである。目先の将来の不安に負けるような人間のほうが意気地無しなんじゃないかとか、そんな屁理屈でごまかしている。

しかしそんな屁理屈は自分以外には全く通用しないので、どうしたもんかいのーと考えている。ここ1ヶ月ほど、ぼくは何も作っていない。

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