やるせなさを受け入れてくれる明るいうた
久しぶりに音楽のことを書かせてください。自分は音楽が好きで、色んな音楽を気になった側から味見している広く浅くタイプの愛好家だ。
その中でも好きな音楽の傾向のひとつとして「やるせなさを受け入れてくれる明るいうた」というものがある。この「やるせなさを受け入れてくれる」というところが肝だ。ただの「明るいうた」だと、ぼくのような人間は塩を撒かれたナメクジみたいに雲散霧消してしまう。
↑畑にわかおが入ってこないようにしたければ、一晩中これを流しておいてください。寄りつかないので。
「やるせなさを受け入れてくれる明るいうた」には、「こんな辛いことがあってさ…」と話しかけた時に、一旦こっちの話にきちんと耳を傾けてくれる安心感がある。ミセスは多分ぼくの話を聞かずに、一方的にポジティブ説教を垂れ流してくると思う。嫌いだ。
例えばそれはこういう曲で、曲調は明るいのだけれど、どこか哀愁がある。多分明るいことを歌っているわけではないのだろうと推測して歌詞を読んでみるとやはり「お互い好きあっているんだけど、どこかぎこちないんだ」とか「情報が溢れすぎている」「もう教育にはうんざりだ」とか、期待を裏切らない歌詞なのだ。でも最後には「自分がどこに行っても、あなたとは一緒だよ」と締めてくれる。その塩梅がいいのである。
「夏が始まった合図がした 傷つき疲れるけどもいいんだ」じゃないんだよ。おれだってもうちょっとマシなこと小学校の作文で書いてたよ。そんなのはただの子供騙しだ。あるいは夏に乗じてヤりまくっていたのを後から美化しただけだ。
そういった曲たちをちょこっとまとめてみました
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