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わかおの日記188

食っちゃ寝しては、彼女とデートするみたいな自堕落な毎日を過ごしているのだが、今日は珍しく完全に何もない日だった。

彼女と付き合う前はこんな日ばっかりで、他にすることもないから、釣りに行くか曲を作るかしていたような気がする。

一緒に「spirit of osakana」というふざけた名前のユニットを組んで曲を作っている外人のラッパーから、こないだビートが送られてきて、さすがに今日辺りにはレコーディングしたいなと思っていた。

書きかけの歌詞を午前中になんとか完成させることができ、さてゆっくり午後にレコーディングしましょうかね〜というゆったりした気分のなかで、なんとなくNetflixで「内村さまぁ〜ず(通称内さま)」を見ていた。まだ再ブレイクする前の有吉がゲストの回で、さぞ面白いんだろうと期待して見てみたが、全然面白くなかった。17年も前の番組だから、内村もさまぁ〜ずもみんな若くて、そう考えると時の流れとか人の成長というものが恐ろしくなる。少しづつでもいいけれど、おれは成長できているのだろうか?なんだか足踏みし続けているような気がしてならない。

昼は家の裏のラーメン屋に行こうと思っていたのだが、生憎閉まっていた。しかし口が完全にラーメンになっていたので、ダメ元で検索してみると、見覚えのない家系ラーメンの店がヒットした。引っ越した当初に見かけたものの、どう見ても美味しくなさそうだったのでスルーしていた所だった。しかしやたらとクチコミがいい。一か八かの気持ちでチャリを漕ぎ、行ってみることにした。

「ラーメン チョップ」というギャグ漫画みたいな店名、10席ちょっとのカウンターと、お世辞にも綺麗とはいえない店内に尻込みしたが、口コミを信じて食券を購入し着席した。

カウンターから厨房が見通せる作りで、かなり大きめの釜でスープを作っていた。これは信用できる。少なくともセントラルキッチンで作られたスープを解凍した資本系のラーメンではないということだ。ワクワクしながらまっていると、なんとも麗しい見た目の家系ラーメンが出てきた。

ぼくのように経験値を積んでいると、出てきた瞬間にうまいラーメンかそうでないかというのは直感的に分かるのだが、これは明らかに前者だった。
豚骨が強めのクリーミーなスープに、家系にしては弾力のあるモチモチな麺、チャーシュー(1枚しかなかったので、あまり味を覚えていないが、かなり美味しかった気がする)、全てが完璧で、調和を保っていた。

どうしておれはこのラーメンが近所にありながら「家系はまずい」などとのたまわっていたのだろうか。非常に自分が恥ずかしい。

ぼくがこのように好き勝手やってる間に彼女は「インセプション」という映画を観ていたらしく、熱心に感想を教えてくれた。こないだ一緒に「RRR」を見に行ったときも然り、彼女は飯を食うにも映画を見るにもいちいちリアクションが大きくてそれが楽しい。自分が体験したものに対して、全力で楽しめるというのは、なんて素晴らしいことなんだろうと思う。

父親が例のごとく酔っ払って「部屋の電気をきちんと消しなさい」と説教してきた。多分ぼくが父親くらい稼いでいたら、電気代のことなど全く気にしなくなっていると思う。しかし、おそらく父親は電気代を気にしているわけではないのだ。「人のいない部屋の電気がついている」という無意味さが嫌なのだろう。

いくら稼いでも人間の根本的な部分は変わらないので、部屋の電気が消えていないことは父親にとって「なんか嫌なこと」であり続ける。そしてそれを主張するのにも父親は酒の力を借りなければいけないのだろう。そう考えると愛おしさすら覚えた。


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