見出し画像

真夏の君と白いカーテン Episode 5

 担任の新井についていく途中、夕焼けのグラデーションは壊れ、徐々に暗闇に染まっていく。校舎にはほとんど生徒はいなくて自分たちの足音が妙に響いて少し不気味だ。通されたのは自分の教室で、面談のように二台の机が向かい合わせに配置されている。促されるままに席に着き、先生側の机に山積みにされた冊子を凝視する。何を言われるのだろうか。



「時間を奪ってしまってすまないな」

「いえ」

「今日は白井の将来のための話をしたくてな」



 落ち着いた口調で話し始めると、山積みになった冊子から三冊ほど引き抜いて俺の前に差し出した。三冊とも異なった高校のパンフレットだ。



「白井は進学するつもりだよな」

「はい」

「行きたい高校はまだ決めてないってこの間話してたから、良さそうな高校を選んでみたんだが」

「見てもいいですか」

「もちろん」



 パンフレットを広げてみると学歴優秀な生徒が集まる名門校、比較的新しい学校、そして中堅校。この中なら新井は名門校を推してくると想像はつく。目標は高い方が良いから挑戦してみないかと決まり文句で畳みかけるだろう。そんなことは望んでいない。今まで苦労した分、平凡な暮らしを送りたい。それだけだ。



「先生、中堅校のパンフレットを貰ってもいいですか?」

「おう、ついでに名門校のパンフレットもどうだ」

「じゃあ、貰うだけ貰っていきます。ありがとうございます」



 もうこの話題にはできるだけ触れられたくない。受験生なら誰しもが思うだろうが俺の場合は別格だ。受験のプレッシャーで焦りを感じながら、親がいないことを心配して将来のことまでにも首を突っ込んでくる。本人はただ親切のつもりだろうが、俺にしたら「構うな!」と発狂したくなるほど面倒くさい。自分の器の小ささに呆れながらも新井に聞いた。



「お話はこのことですか?」

「ああ。白井は成績が良いし真面目だと色んな先生から聞いている。もう少しすると指定校推薦も提示するから、それも見ておいた方がいいぞ」

「分かりました」

「まあ、できたらここの高校に挑戦して欲しいんだよな。多分いけると思うぞ?」



 新井が指したのは俺の手元に置いていた名門校のパンフレット。やはりか。溜め息が出そうになりながらも堪えた。別に悪意があるのではなく、素直にレベルの高い所に進学することが俺のためだと思っているだけだろう。


 ただ、社会とは難しいもので高学歴ならこれから先の人生が上手くいくというわけではない。良い会社に就職できたとしても使えなければ切られるのだ。もし大金持ちになったとしても幸福を感じることができなければ充実しているとは言えない。


 高望みはしない。そこそこの学校に進学して、自分で生きていける程度の稼ぎをする。それが自分にとっての最上級の普通であり、幸せだ。何を言われても普通の幸せに憧れ、それを目指していくつもりだ。



「少し考えてみます。このまま学力をキープできれば一番良いんですけどね」

「まあ、大丈夫だろう。期待しているからな」

「頑張ります」

「すまんな。こんな時間に引き留めて」

「大丈夫です」



 面談が早く終わったといえ、外は真っ暗。なんなら廊下と職員室以外の教室は全て電気が消されているため、余計に暗闇に迫られているような圧迫感を感じた。けれども恐怖を感じたわけではなく、逆に何か悪さをしたくなるような高揚感に駆られた。


 少し羽目を外したい。言い逃れできる理由はないか。俺だったら少しくらいなら許されるだろう。そんな衝動が脳内で衝突し合い、火花を散らす。



「先生、教室に忘れ物があるので先に悠人のところに戻ってもらえませんか?」

「分かった」



 新井はそのまま来た道を戻り、俺はすぐさま自分の教室へと向かう。言ってしまった以上、辻褄を合わせるために自分の教室に行かないと疑われてしまう。ここまできたのなら夜の学校散策というのも悪くはないだろう。理科室や音楽室とか、それこそ学校の怪談に出てきそうな場所に行ってみるのも一つの案だ。躍り跳ねる心を押さえ込み、足早に教室へと入る。



「さあ、どうしようか。本当に忘れ物をしてたりして」



 スマホの明かりで机の中を照らすと、まさかのプリント一枚が奥にへばりついていた。幸い提出用のプリントではないものの、明日の授業に必要な内容が詰まっている。



「危な、たまには嘘もついてみるもんだな」



 夜の学校散策の前にこの小さな発見で得した気分になり、このまま帰ってしまってもいいかもしれないと思い始めてきた。そうだ。リスクを犯すほど危険な行為をしても良いことはない。急に我に返り、椅子を机に押し込んだ。



「悠人、待たせているよな。早く帰ろう」

「....帰るの?」

「え?」



 手で口を覆った。思わず反応してしまった。ここには俺しかいないのになぜ背後から少女の声がしたんだ。鳥肌が立つ。悪寒が全身を駆け巡る。本当に背後にいるのか?幽霊なんじゃないのか?結果的にいる、いないにしろ確認する必要があるのだろうがそんな度胸は持ち合わせていない。ただ、その恐怖を上回るほどの好奇心が沸き立つ。そうだ、反応してしまった以上、その子の声が聞こえると認めざるを得ない。いっそのこと振り返ってしまえ。


 恐る恐る振り返ると、その声の主らしき少女は真っ白なカーテンに隠れるようにして俺を静かに見ていた。襲うわけでもなく、ただずっと。月光の青白い光で彼女の真っ白な肌が一層反射し、その透明感に引き込まれそうになり、不思議と恐怖心は消え去った。


 誰もいない静かな教室。窓から流れる少し涼しい夏の夜風になびく白いカーテンが彼女に対する興味をさらに掻き立てたのかもしれない。大きく胸がざわついたのもそのせいなのだろうか。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?