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「手紙を読むのは花嫁だけ」という常識を変えたかった

少し時間が経ってしまったけれど、3月末に結婚し、結婚式を行いました。

すべて終わって振り返ってみると、結婚式までのプロセスはタスク量に唖然としたり、進め方で沢山喧嘩したりと大変だったけれど、当日はやっぱり人生で一番最高の1日だったと思います。
家族や友人といった、いつも支えられている人たちの存在のありがたさを再認識してより一層大切にしたいと思うようになったし、その大切な人たちの輪が広がって、一生話せる思い出が出来たことが何よりうれしいことでした。

そんなうれしい思い出の一方で、結婚というプロセスに置いて葛藤や変えたいと思ったことがあったのも事実です。私は自分にあった働き方を支援する会社の代表という立場としても、自分自身は特に「キャリアもライフも諦めないこと」や「ジェンダーによる役割分担の先入観」にはこだわりをかなり持っているので、結婚というプロセスに置いて感じたことやこれから変えていきたいと感じていることを記しておきたいと思い、このnoteを書きます。

(結婚式そのものについては、Twitterに書いてるので超こだわったコンテンツを見てください😂ただ、見てほしいだけ笑)

タイミングの話

そもそも、私の個人的なスタンスとしては「いつかは結婚したいと思っているが、それは本当にいまなのか?」と感じていた。起業家として自分で創ったサービスを2年程度運営し、昨年には資金調達も行い、まだまだ仕事にコミットしたい時期だった。

冷静に考えてみれば、結婚したからと言って特に日常生活に変化があるわけではないが、なんとなく「いま結婚なんかして良いのか?」みたいな気持ちがどこかにあった。これは自分自身なのか、誰かからの見え方なのか、よくわからない感情だがぼんやりと感じていた。

古い価値観だなあと思うが、スタートアップ界隈でも”結婚や出産を考えている起業家に対して「今後ちゃんと働いていくつもりはあるのか」といったことを投資家などから聞かれたことがある”と噂に聞いたこともある。(もちろんそれが大多数ではないし、うちの投資家の皆さんは祝福してくださった!)

最終的には、「自分にあった働き方」を目指す会社を運営する身としても、自分自身がそうした固定概念を変えていきたいし、新しい働き方や生活を体現する当事者でありたいと思ったことから、積極的にライフイベントを楽しんでみようと思った。

ちなみに実態としては、うちの家庭は平日は互いにリモートワークではあるものの、朝昼夜ほとんどご飯は別々で、週末は事前に予定を押さえていれば二人で過ごし、特になければお互いに仕事も入れるようなスタンスである。これを先日「今は仕事に集中したいけど、そんなことを言ってたら結婚も出産も時期を逃すかもしれない」と悩んでいた後輩に話したら、「結婚したら毎日晩ごはん作らないといけないと思ってたけど、それでもいいのか!できるかも!」と言っていた。
結婚生活のスタイルに正解はないから、「こうしなければ」から解放して、自分たちにあったものを模索していきたいなと思っている。

事実婚の話

さて、結婚することはなんとなく決まったものの、「どちらの名前にするか?=どちらの籍に入るか?」は、実は3ヶ月くらいは決まるまでに時間がかかっていた。

私自身はシンプルに自分の育ってきた家庭が好きであるというのもあるが、父親が ”五人兄弟の5番目の末っ子長男、姉4人”という家庭で育ち、私は一人っ子だったので、喜多村の姓がなくなるのか?ということは小さい頃から気がかりだった。小学生に入るか入らないかぐらいから、母親に「結婚したら喜多村はなくなるの?お墓はどうなるの?」と質問攻めにしていた。今思えばなかなか考えすぎな子供である。笑

そういうわけで、自分の姓へのこだわりが一段と強く、仮に自分の名字が変わることになったらこれまで約30年連れ添った自分のアイデンティティが喪失されるような思いさえ感じていた。そんな中、たまたま結婚しようという相手が四人兄弟の3番目の三男だったわけである。これはもうもしかして喜多村でいけるんじゃないか?と思ったものの、そんな簡単には行かなかった。お互い自分の名字が良いという話になった。

戦い(?)の中で感じていたのは、”当たり前に”女性側が名字を変えるということは避けたかった。議論の上でとか、互いの合意の上で、法律上どちらかの名前になるのは百歩譲って良いのだけれども、そもそも女性側の籍に入るという選択肢が平等に検討されないというのは違うよねと感じていた。

世の中では96%の割合で女性が結婚時には名字を変更しているという現実からすると、4%はかなりマイノリティで、それを選択する人たちは大きな理由がある人に限られているように思える。だけどそこに明確なルールが有るわけではないのであれば、対等に土俵に乗るべきではないのか?と感じていた。

ただ、これは自分自身のパートナーも両親もその一般論からして「特に理由ないのになんで?」といった反応で最初は全く理解できない様子だったし、それ自体に対して「自分の名字を選択したいだけで、なんで大きな理由が必要なのか?」と率直に感じていた。そして、自分と名字が一緒の両親にそれを説明するのに少し寂しい気持ちもあった。

ちなみに、お相手のご両親はご厚意で「そちら側に籍を入れてはどうか」と息子を説得してくれようともしてくださっていた。が、最終的には私たちの希望を理解してくれた。とても良いご両親だった。

検討の末に結果として、事実婚という形で結婚することになったのだが、なんとなくお相手のご両親には自分自身のワガママによってこういった選択になって、少し申し訳ないなという気持ちもどこかにあったりする。

結婚式の話

結婚式は、自分たちの中で「両親への感謝を伝えること」を一番のテーマとして掲げていた。これも、忙しい中で結婚式の準備なんかしている場合なのかといった気持ちはかなりあったが、両親への感謝を込めてこれは実施したいとなった。

その結婚式の中でもいくつか当たり前を変えたいと思ったところがあった。

まずは挙式でのバージンロード。これは最初からずっと違和感があったものだった。
通常は最初に新郎が入場し、その後新婦が誰かと(多くの場合父親と)入場するのが一般的である。

私はそれに対して、「なぜ花嫁が父親から新郎に受け渡されるの?」ととても疑問に感じていた。これは個人的にだけど、なんとなく「うちの娘を君にわたすよ」という印象を受けた。

だから頑なに、挙式の1週間前まで”バージンロードは新郎新婦で歩く”という形にしていた。自分の足で歩くようにしたかった。
ただ、直前になってパートナーが父親の気持ちを加味した強い意向があり(なぜか私の父親の気持ちを代弁していた笑)何度も何度も説得され、最終的には、私自身も今回のテーマでもある両親への感謝に通ずると感じて、通常パターンで行うことになった。実際やるのは小っ恥ずかしかったが、普段緊張しない父親が超絶緊張してよく分からない表情をしていたし、結果的には父親はかなり満足していた模様だった。これは両親に対してという意味で、やってよかったなと思う。

ふたつめに披露宴でのスピーチ。これも通常は、はじめの挨拶や終わりの謝辞は基本新郎が行うことが多い。でもこれも基本二人で喋った。二人から招いてるから二人から感謝を伝えたいというスタンスである。ちなみに、最後の謝辞は私から話し始めたのだけど、母親は「この子が最後締めて終わったらどうしよう。ちゃんとマイク隣に渡してよ」ととても焦っていたようである。笑

最後に、両親への手紙。これもなぜ花嫁だけが読むのか疑問だった。基本的に、女性が男性側の家庭に嫁ぐことを前提にしていて、私だけが家庭から外れるような感覚にもなる。これもふたりとも手紙を読むことにした。両親に感謝を感じているのは、新婦だけではないはず。この演出にもかなりこだわってパートナーを説得した。結果的に私よりもパートナーのほうが大号泣していた。

最後に

私自身はキャリアとライフのトレードオフや、ジェンダーによる役割分担の先入観など、かなり課題意識を持っていたし、起業してその世の中を変えたいと思っていたけど、正直なところ、今まで生きている中で自分自身が当事者としてリアルに体験することというのはあまりなかったように思う。

今回のライフイベントでの経験を通して、無意識のバイアスは存在することを実感したし、違和感を違和感のまま受け入れたくないと改めて感じた。

私自身は今後もそうした先入観をなくし、ライフスタイルにはいわゆる”正解”みたいなものがない中で、一人ひとりが満足できるスタイルを模索することをサービスとしても実現しながら当事者として体現していたいし、それが実現される世の中になるように社会に働きかけていきたい。



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