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憧れの破片

クリスマスが近づいて、家も街も電飾できらめき始める。特別な日にわくわくする気持ちや、年末に向かって何だか落ち着かないのもまた、楽しみのひとつ。

心が明るくなる一方、光に照らされて心に影ができる。

憧れのものはたくさんあった。いいなあって思う人もいた。こんな風に生きることができたらなって思うことも。

理想だけでは、生きていけない
愛は無力なものだね

理想を体現するアイドルすら、理想だけでは生きていけないと唄う。

憧れや理想だけでは生きていけないならば、何があれば生きていける?

憧れを追う覚悟をするか、しないか。

そんな二極化したものではないんじゃないか。人は基本的に同じ憧れを追っている、のだと思う。その方法が違うだけで。

例えば、光を浴びる世界に憧れている。
その願望の中に本当の気持ちが隠れている。「誰かの希望になりたい」「認められたい」「丁寧に接してもらいたい」このように。

これらの本音が憧れの破片には混ざっている。
隠れていた本音を満たすことが、きっと自分にとっての幸せとかに繋がるはず。

ただ、残念なことに、破片は割ってみないと出てこない。

憧れを割る、一旦諦めてみる。

人生はマラソンや山登りによく例えられ、私はその例えに納得しています。

憧れという山を登る中で、いくつもの目標地点があって、目標地点からまた別の山へと道が繋がっているイメージ。最初のその山を目指すのか、目標地点から別の山へと方向転換をするのか。どっちだっていい。

結局山を登る、という行為には変わりないから。

これまでにないことを成し遂げるのも人生だし、憧れを追求するのも人生。
その一方で、
毎日1つ新しいことを自分のものにするのも人生だし、身近な快適さを追求するのも人生。

好きなことを仕事に、やりたいことをやる。本当に背中を押してくれる言葉だけれど、
そうでないから悪いなんてことはない。

きらきらした毎日にはほど遠くても、自分を褒めてあげられるならそれでいい。
頑張ってないんじゃないか、なんて思うけれど毎日生活していて誰かの幸せを願うだけでも、誰かを少し笑顔にできたらそれはもう、はなまるです。

それでもやっぱりもう少し、って思うことができるならば手を伸ばす。
このままでって思うならこのままでいい。きっと何か思うようになる。

そうやって、半径5メートル、手の届くところからちょっとずつ広げていくのがいいのかなと思います。大きく変えるのもアリなんですが、それが凶と出るか吉とでるかは自分との相談で。


憧れをがつんと割り破片となって、初めて見えてくるもの。この破片を大事に拾い上げて、磨いてあげたい。

#エッセイ #人生 #生き方 #暮らし #光 #願望

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