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何がキッカケで変わるかわからない③

野球チームへ入り、少しずつ自己形成に変化が出てきた頃の事です。レンタルビデオショップで、何気なく目に留まった一本のテープ…初代タイガーマスクの戦いの歴史なる特集物。

それまで、プロレスに特に興味があったわけでも無く、強いて言うならキン肉マンを観ていた位でした。

興味本位で借りて観てから、その動き、戦いに魅了され、どんどんのめり込んでいきました。タイガーマスクを一通り見終えた後は、アントニオ猪木、そして新日本プロレスと没頭していく事になりました。

中学に入る頃には、プロレスの事ばかり。休憩時間に廊下でクラスメートとプロレスゴッコをして、先生から叱られる事も多々。引っ込み思案だった自分はどこへやら。プロレスラーの発言の仕方、マイクアピール等を観ることで、自分の意見を言う事に抵抗が無くなっていき、話すときの言葉の選び方等を無意識に学んでいきました。

強く影響を受けたといえば、やはり闘魂三銃士と呼ばれた、武藤敬司、蝶野正洋、橋本真也の三選手と獣神サンダーライガー選手。それと通称ケロちゃんこと田中秀和(現田中ケロ)リングアナウンサー。

話すときの言葉のチョイスの他、話すときの間を学んだ気がします。

そして、中学2年の時。これまで最も苦手にしていた、人前で話す事に大きな転機が!

林間学校でキャンプファイヤー委員をする事になり、全クラスの委員が集まり役決め会議の時。キャンプファイヤーの司会担当に立候補する人が居らず、決まらぬまま1時間近く。担当の先生も決まるまで今日は帰れんぞ!と言い出す始末。

「皆が嫌がる事を率先してやりなさい」リトルリーグ時代に教わった事が、頭によぎり、気が付いたら立候補していました。

やる!となったら、もう開き直りです。当時、割とプロレス好きで多少認知されていた事も利用し、凄く緊張はしたものの開き直って本番。司会の時は田中リングアナウンサーのやり方を真似る形で行うと、何故かは分かりませんが、これが凄くハマり大成功!

この成功体験を経て、人前で話す事へのコンプレックスが解消され、高校の選択科目でディベートを選択する等、人前で話す事への抵抗が完全に消え、現在も日々人前で話す事の多い毎日を過ごしています。

ホント、人間何がキッカケで変わるかわかりませんね笑

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