見出し画像

「出来るけれどすごく疲れる」

先日NHKで放送された「発達障害って何だろう スペシャル」での言葉です。
NHKでは発達障害のキャンペーンを行っていて、たくさんの関連番組が放送されました。

発達障害に興味があります。
何故かって、若宮がその傾向があるからです。
ついつい、発達障害と、そうではない人、と分けて見てしまいがちですが、そこに明確な線引きはありません。
人間の運動神経と同じようにグラデーションになっています。
医学的にある程度の線を引きますけれど、結局の所「様々な特性を持ち、なおかつ生活に支障が出ている場合は“障碍”」というような曖昧なものです。
だからこそ、理解され辛い「発達障害」なんです。

番組中に精神科医の先生が仰っていたのですが、「出来る」と「出来ない」で区別して、出来るんだから障碍者じゃないと見られてしまうけれど違うんだと。
「出来るけど疲れる」という場合もあるのだという発言に、

そう! それ!! その通り!!

と、激しく納得しました。
うなずき過ぎて頭が取れるんじゃないかと思った。

若宮は自分の事を、ASD(自閉症スペクトラム症)の傾向があると思っています。
グラデーションの中途半端な所に自分は居るのだと思う。
けれど一つだけ気になっていたのが、ASDの特徴としてコミュニケーションが苦手というのがあります。
若宮は一応、コミュニケーションは出来ます。今まで練習?してきたし、頑張れば出来るのです。
だからASDとは違うのかな? と思ってたけれど、今回の番組を見て目からうろこですよ。
「出来るけど疲れる」も特性の一つなんだ、自分はASD傾向なだけなんだ。
そう思うとなんだか許された気分でした。

今まで自分の事を激しい人見知りで、コミュニケーションが苦手なのも経験が足りないからだと思っていました。
考えない様にしていたけれど、自分は他人より劣っているのだと思っていた。
子どもの頃から、生きるのが大変だとずっと思っていた。
でもそれはすべて、ASD傾向だったからだと納得できたんです。

注意欠如・多動症(ADHD)とか、学習障害(LD)とか、ASDも苦手な事がたくさんあります。
けれど何事もそうであるように、度合は人それぞれグラデーションで、苦手だと言っても全く出来ない人も居れば、頑張れば出来る人もいる。
頑張りって他人に見えなかったりするから、あの人は出来る人なんだと思われてしまったりする。
すごく頑張ってやっていたりするのにね。

小さい頃から人ごみに出掛けたり、初対面の人と話したりが苦手で、学校なんて特に疲れる場所でした。
家族で出かけたり、友だちと遊ぶことが楽しくもあるけれど、翌日は必ず寝込んでしまう。
死んだように眠ってしまったり、何もできなくなってしまうから、「明日は死んでる」なんて冗談を良く言っています。
なんで自分はこんなに体力がなくて、楽しいことをしてもなんでこんなに疲れるんだろうと不思議で仕方なかったし、そんな自分が情けなかった。
そうか、エネルギーの使用量がみんなと違ったんだね。
そうだよね、体格の大きい人が重い荷物を軽々持ったとしても、小柄な人が同じ荷物を持つのは大変だもんね、そりゃ疲れるよね。

分かるだけで肩の荷が下りた気分だし、これでじゃあどうすれば良いのか、ということが考えられる。
結局は、苦手がポンと得意になる、なんて魔法は無いからね。
でも様々なサポートがあるし、投薬であるとか、カウンセリングであるとか、作業療法や認知行動療法など、自分の苦手を向き合って、じゃあどうすれば生活が楽になるかを考えていくことになる。
精神科の医師や、臨床心理士、いろんな人がサポートしてくれるよ。
若宮はとにかく、社会と生きていく方法を模索中です。

発達障害って周りに居ても気付き辛いし、自分がそうかだって思いもしないだろう。
単に、自分は○○が苦手なだけだと思いがち。
それでも、生きるのしんどいなと思ったら、可能性を考えてみてください。

発達障害って、思いの外身近だと思いますよ。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?