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「無能な怠け者」に傾く原因とその対策

よく無能の働き者が一番有害というが、昔からいろんな働く人を見ていると、当初「無能な働き者」だったのは多くの人が同じなんだけど、失敗や挫折を糧に有能に振れるのか「無能な怠け者」に振れるのかどちらかだなと思う。

もしくは「自分の得意分野」までを有能化して、不得意分野は怠け者に徹するか「これを頼んでもなあ」という空気感を出すなりで回避するなどの技を編み出している気がする。(自分はこの手に近いか)

難しいなと思うのは、有能領域の獲得の触媒は、その領域での大きな失敗をそれこそ肥やしにして「自分で考え」「手段を講じて」「能力のヒントを得る」というプロセスが必要で、ある時は失敗を過度に嫌うことや、失敗の原因追及の甘さ、解決策があったとしても本人にとってオーバースペックの場合「失敗を繰り返す無限回廊」が待っている。

よく側から見てると「なんで同じ失敗を」そういうシーンあるじゃないですか。あれ失敗が続くと視野が狭くなってしまうことに起因してる。ああいう場合、適切な自己判断は困難だ。周りからの助言(ヒント)が必要になる。

そしてここにも罠があって、助言には2つの軸があって。一つは論理的な失敗に繋がった原因説明。もう一つは回避するための対策だ。ここよく自分も反省せねばなのだが、この二軸を混ぜて話す場合や対策だけ話してしまう。

すると話した相手によってその対策の合う合わない問題が出てくるわけだ。この合う合わないは性格と同じで合わない人はとことん合わない。その結果「自分にはその能力がない」「もう無理せず諦めよう」となり無能の怠け者が生成される。

また、助言を受ける側も聞く時って思考停止になりがちな問題もある。コミュニケーションなんだから言葉の中から原因と対策をわける、自分の言葉で発話する癖をつける必要がある。対策もただ真似をする前に、その対策の肝を聞き出すことで、「自分でやるならこうだ」という変換が必要なんだよね。

不思議なのは解決方法を唯一無二の方程式があるように思ってる人が多いこと。実際は答えは無限にあって自分にマッチするような答えも隠れているわけで、それを不器用でもいいから探究するのって面白いと思うのよね。同時にそれでもどうしても苦手なものもある。その時は喜んで他人に任せたらいい。

そういう一歩一歩階段を登れる環境があるといいなあと。実際はなかなか待ってくれないからねえ。いろいろ難しい笑

お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。