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想像の翼

大阪の高校無償化施策の煽りで、公立高の定員割れが問題になっているらしい。「こういう問題は予見できたはずだ」と指摘する人がいるが案外この手の声の大きい人は当初は「親の年収に左右されない良い施策だ」なんて言ってたりしていそうだ。

こういう話はどこの業界にもあって、想像の翼をどこに向けるか(優秀で貧乏な家庭か、公立高校の定員か)その方向感によってストーリーは変わってくる。これはどこの方向にカメラを向けるかだが、一方で時間軸として見るという翼もある。収入の違う家庭環境の人たちが一つの高校に集まってくる。そして三年間を過ごす。そして大学受験。おそらく想像の斜め上の事象は発生するだろう。

面白いのは、この手の問題が起こった時に「ほら見たことか」という人の多いことよ。実際ほとんどの人は事前に想像の翼を広げることはなく、手前の議論で終わっている。本来こういうプランの良し悪しはこれらの翼をどこまで広げて考えるかなんだと思う。

けど多くの人たちは、こういう時に昔の偉人の言葉を繰り出して「まずやってみよう」なんていう。周りでもいませんか?数メートル先に崖が見えているのに「まず進もう」という輩は。そしてなぜか「今一歩踏み出すことも勇気だ」なんていう。それが蛮勇にも関わらず。

恐ろしいのは多くの蛮勇の結果、9割は失敗した時、勇気の声掛けをする人ほど糾弾し、何かの拍子で成功すると不思議の成功体験に切り替わる。世の中この手の思考停止が多すぎる。そしてリスクを意見具申しても想像の翼を持たない人は無思考で却下するんよね。

それでも安西先生よろしく想像の翼を広げることはやめてはいけないと自分は思うわけです。

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