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生きた証という呪い

遺贈寄付が最近話題らしい
自分のお金を活かすとかと同時に
生きた証を残すかということなんだろう

自身は20-30代はこの思考は
すごく理解出来た

それこそゴッホのように
自分が生み出したものを
後世に残したいその思念

そして案外その思念って
万物に魂が如く案外残るし
そういうモチベーションで
もっともっとってなりがちだ
(自身も多少成功体験もある)

けど最近思う

それって与えて死んで
それを見ずに残す意味ってと
ゴッホは生前いい思いをせず
後世に有名になったけど

その事実を死んだ後に
名声を得て思念しか残らず
「で?それで?」
なのではと最近思う

死んでから他人に思念を託すほど
自分勝手なことはないのかと

人間社会1人では生きれない
だから数多の関係性で成り立つのはわかる

でも一方で自分の想いは
一つは他者への底上げにもなるが
一つは他者への呪いとなる

最近自身の理解では
正のベクトルと思うことも
一歩間違えば負となり
足枷になるのではと思うことが多い
決めるのは受け取り側なんだけど
投げかける側の自己都合な
押し付けも多いのではと思う

そのあたりの謙虚さを
失った輩が多い気がしてならない

お互いのコミュニケーション活性化のため、スキ・コメントお気軽に、よろしくお願いします。