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スマホ越しの景色

今の時代、なくてはならない存在で多くの人が持っているであろうスマートフォン

以前スマホからたまには離れるタイミングも大事だよなというぼやきをnoteで書いたら、思っていたよりも多くの方に読んでいただけたようで嬉しく思います

基本的にほとんどの人が外出する際にスマホを持ち歩きますし、旅行やイベントに参加するときには写真や動画を撮るための必需品だったりします

だけれども近頃、スマホで写真や動画を撮ることに夢中になりすぎて、自分の身体で体感するということの大切さを忘れている人が多いようにも感じています

最近はSNSを通して情報収集をする方が多いと思うので、自分が行った場所や食べたものの画像を共有することで、それが誰かの情報源になったりするんですよね

だからこそ撮影が可能なお店やライブなどでも、動画撮影が可というところも増えています

私自身も実際にSNSを通して気になるお店を調べたりすることもあるので、それ自体が悪いことではないと思うのですが

スマホ越しに見る世界に集中してしまうのは、いかがなものかな?と思ったりもします

可愛いカフェや美味しそうな料理を目の前にしたときに、自分の身体で味わうのではなく、スマホという別のフィルターを通してだけみるのはなんだかもったいない気がするんです

自分の目を使って直接料理やお店の雰囲気を堪能したり、美味しそうな匂いを嗅いで満たされたり、口の中で味わう感触やそれを身体中で感じる幸せさ

それらは今この瞬間に自分の身体を通して体感することのできる最大の楽しみだと思います

しかし写真や動画を撮ることに夢中になって、料理を見るのはスマホ越し、お店の雰囲気を感じるのもスマホ越し、料理を食べるときも動画を意識していると、それはもはや人間がやらなくてもいいことのような気がするのです

そして以前SNSでアーティストの方がライブに出た際に、撮影が可能なイベントだったことから会場のほとんどの方が自分に対してスマホを向けてきて、恐怖を感じたといったことを話していたのですが

私自身も音楽が好きでよくライブへ足を運ぶことがあるのですが、まだ撮影可能なイベントには参加したことがなく、その脅威を目の当たりにしたことはありません

ですがよくSNSでライブへ参戦した際の動画を目にすることがあるのですが、動画を見る限りほとんどの人が動画や写真撮影をしているように思います

確かに私も写真の数枚は記念に撮りたいなときっとその場にいれば感じると思うのですが、そのライブの間ほとんどをスマホの画面を通してみるというのはなんだかこれまたすごくもったいない気がします

記念に残したいという気持ちは分かりますが、せっかくのライブで目の前に大好きなアーティストがいるにも関わらず、ずっとスマホを見ているというのはどういう感覚なのだろうと純粋に不思議に思うのですが

私がライブの好きなところは、その場でしか味わうことのできない熱量や一体感が非日常を感じさせてくれるということ、そして何よりも好きなアーティストが今目の間にいるという喜びを目いっぱい噛みしめることができるということです

だからこそ、ライブに参加するときはいつも以上にこの身体を使って、この思い出をしっかり身体に刻み込もうと楽しむようにしています

だけれどもスマホで撮影することに集中してしまうと、きっとスマホの中にはデータとして保存されるので何度も見返すことができるという喜びはあるとは思いますが

今この瞬間ライブでしか味わうことのできない大切なものはきっと、気づくことのないまま終わってしまうのだろうなと

これは価値観の問題なので、どちらが良い悪いではないのですが、今この瞬間を思い切り楽しむことよりもスマホにデータを残して思い出を振り返ったり、誰かに共有することが大切なのでしょうか?

スマホの中のデータはいつか何かのトラブルで全て消えてしまうことがあるかもしれませんが、この身体を通して体感した思い出は感覚としていつまでも身体のなかに残っているのではないかなと私は思っています

スマホを通してみるのであれば、もはやこの身体はいらないのではないかと、そんな風にさえ考えてしまいます

だから私は普段の何気ない日常も、特別な体験ができる非日常も思い出に数枚の写真は残すけれど

それよりもこの身体を通して感じる目の前の世界を、何よりも大切にしたいなと思います

スマホ越しに見る景色では気づかない美しさが、この身体だからこそ体験できる楽しさがきっとあると私はそう信じています

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