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想像力のために。「パラサイト 半地下の家族」を観て

今日も、さまざまな人が歩いている。

ぼんやりとした顔で歩く人、さも急いでいるというように足早に歩く人、重そうな荷物を抱えて足取りがおぼつかない人、友達と笑顔で喋りながら歩く人、うつむきながら歩く人。

昨日、「パラサイト 半地下の家族」を観た。

公開前から面白そうだと思っていたのだが、ここ数週間かなり評判が立っているようで、やはり気になっていた。

モリジュンヤさんのこのnoteを最初だけ読んだら「ここから先ネタバレ」と明示されていたので、そこで閉じて、先に映画を観ようと思った。するとあのアカデミー作品賞、受賞。背中を押され、観に行った。

以下、若干ネタバレありです。

描かれたのは格差社会?

メディアやSNSでは「韓国の格差社会を風刺」「貧困家族と富裕家族」と、格差に焦点を当てた感想をよく目にする。  

しかし、本当にそうだろうか。

もちろん作品から何を感じるかはそれぞれなのだけれど、そして監督の想いもそこにあるのかもしれないけれど、私はどうもちがう気がした。

人の心のうち、見える景色、考え方はその人が身を置く状況によってまるきり違いうるということ。

「この家の金が全部私のものだったらね、私だって優しくなるよ」

キム家のチュンスクはこう言うが、この言葉や後半のサスペンスシーン自体がこの映画の届けたいものではないと思う。

ケン・ローチ監督の「Sorry, We missed you」を観た日も感じたけれど、同じ時間にこの映画を同じ場所で見た人がたくさんいることが重要だ。

隣に座って観ていたあの人は、何を思っただろう。友達同士で楽しそうにしていた高校生たちは、どうだっただろう。

私は想像力というものについて考えていた。今はそこまでしか考えられなかった。

自分のしている生活が、誰かにとっては異常なものかもしれないということ。自分が異常だと思う生活が、誰かにとっては普通のものかもしれないということ。

大雨が降ったら体育館に駆けつければいいという単純な話でもない。そうする人々もいるのだけれど、もっと日常にひそんでいる「ちがい」を想像する力。

そのことを感じるためにまずはこの映画を観てよかったと思う。

そしてモリジュンヤさんのnoteも昨日読んで、特に後半の描かれ方に関する考え、なるほどと思った。自分の違和感はキム家とパク家に象徴される分断にあったのかもしれない。

監督のインタビュー記事を読んで、周囲の人の感想を聞いて、この映画の奥見つめたい。

読んでくださってありがとうございます!