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人間関係の保存と上書きについて


使い古された表現

「男の恋は保存型、女の恋は上書き型」というフレーズを聞いたことがある。

もはや穴埋めクイズに出てきそうなくらい認知されている言葉ではないだろうか。

往々にして、「男は終わった恋を大切に保存するけれど、女は上書きしていくので男よりもドライだよ」というニュアンスで使われることが多い気がする。

しかし、本当にそうだろうか?

男だ女だという性別の話をするつもりは全くない。

どんな性自認をもっていても、恋愛観は個人によるものだと思う。

それよりも、「上書き=過去がなかったことになる」というニュアンスに疑問がある。

確かに書類を作ったりしていると、「上書き保存」と「新規保存」には気をつけるだろう。うっかり上書きしてしまうことで「どこを直したかわからない」と困ることもある。手を加えたものと、加えてないもの、別々に保存しておかなくては、ということもある。


人間関係の上書き

だけど、人間関係においては、上書きなんてできないのではないか。

Aさんと親密だったときの自分、Bさんと親密だったときの自分。Cさんとの関係で学んだこと。Dさんから言われた印象的な言葉。

様々な人と関わることで、自分の中に小さく積もっていくなにか。

あの人から影響を受けて、私も映画が好きになったな。あの人はこういう人が苦手だったな。人にお礼を言うことが増えたのは、あの人の影響かな。

そんな、微かだけど、その人と関わらなければ生まれなかった変化。

関係が途絶えれば鮮明な記憶ではなくなっていくかもしれないけれど、誰かと共有した時間は私たちに何かを残し、それが自分というものになっていくのではないだろうか。

出会いたくなかった、関わりたくなかった人もいるかもしれない。

そういう気持ちはすごくつらいし、自分を責めるかもしれない。

でも。自分だって、誰かの中に小さく積もっているかもしれないのだ。

お互いがお互いの中に、少しずつ積もっているのかもしれない。

もしそうなら、人と関わるのをそこまで怖がらなくていいし、道を別れることになっても、そういうものだと思えばいい気がしてくる。

ありがとう、さようなら。

そんなシンプルなあいさつが、できるんじゃないだろうか。


人生パフェ

比較的しんみりと、人間関係の上書きについて書いていたのだが

ここでふと思った。

「人生ってパフェなんじゃない?」

だいぶテイストが変わって今からあほらしいことを言うのだが

自分の人生をひとつのパフェだと思ってみたら、どうだろうか。


パフェって、上のほうから食べるけど、掘り進めるといろいろおいしいものがありますよね。

仮に和風のパフェだとすると、てっぺんは濃厚抹茶アイスと白玉。

その下にババロワがあって、黒蜜がかかってて、寒天とか出てきて。

ぎゅうひも2色出てきて、なぜかコーンフレークも出てくる。

半分より下くらいになると、溶けたアイスや黒蜜、きなこが混ざり合ってなんかすごい色になってる。でも絶妙においしい。

つまり、味わえば味わうほど、まざりあってよくわからないおいしさ。

人生も、もしかしたらこんなもんなんじゃないだろうか。

てっぺんでは、涼しげな顔してきれいなアイスを飾っていて、わかりやすくおいしそうだけど、中をつつくといろんなものが詰まってる。

和風パフェだと思ったのになんか珍しいもの入ってたり、おいしいけど何と何が混ざってこんな味なのかわからん…っていう状態だったり。

闇鍋とかいう言葉も今よぎりましたけれども、パフェのほうが聞こえがいいのでそういうことにしてみたい。

さあ、オリジナルパフェづくりの連続だ、と思えば人生も若干おもしろい。

人と関わり、影響を受けたりしながらなんだかパフェになっていく。

ちょっと怪しい味になってきたなと思ったら、作り直せばいい。

そんなかんじでいかがでしょうか。


















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