義実家という場所

実家より好きな場所だと行く度に思う。私の実家は田舎の方だが、彼の実家も長閑な場所。

私は田舎に対する偏見があり、嫁いだ先の実家で、奴隷みたいに扱われてもおかしくないなぁ、そうなったら彼に義実家と縁を切ってもらうか、それが無理なら別れよーっとと半ば本気で考えていた。料理が作れない嫁が田舎で好感度を上げられるわけがない。

そう思っていたけど、義実家に伺って、拍子抜けするほど現代的な考え方に触れた。何なら私の方が古臭い価値観に囚われているのかもしれないくらい。

私は今、とある勉強をしていて、それは田舎で必要とされる畑仕事、お墓のお手入れ等々とは全く関係のない分野。少なくとも田舎で重宝されるようなものではないと思っている。何か自分で作れるスキルがあるわけでもないし、スペックだけで見たら私は田舎に必要な要素が皆無だと思う。

でも料理を作りたくない、彼に作ってもらっているとお義母さんに言うと「役割分担できてるなら良いんじゃない?」と言われた。私に1つも期待していないと言うことはわかったのだけど、悪い意味ではなくて、「そうなんだ〜、何にも得手不得手はあるよね〜」くらいのスタンスだった。


身内が離婚するとき、スキルアップのために大学院に行きたかったようなのだが、「それが畑仕事や墓掃除をするために役に立つのか、そんなことより家のことをやって欲しい」という趣旨のことを義実家に再三言われ続けていた。それも離婚の一端であったと思う。


どちらかというと、そちらの考え方の方が田舎のスタンダードだと思っていて、うちの両親も、強くは言ってこないけど、勉強よりも子供を産んでほしいと思っているんだろうな、ということはよく伝わってくる。田舎で生まれ育ったのに勉強がしたいと子供みたいに言いまくる私の方が異端分子である自覚はある。

とにもかくにも勉強に対する向上心が強い女性は田舎に必要とされていないんだなと感じて生きてきた。笑っちゃうくらいの封建制度が大真面目に敢行されている田舎は珍しくもなんともない。


価値観の違いだからしょうがないね、で済む話だと思っているので、田舎と私の価値観が二律背反になる場面が来たら、私は迷わず田舎を切る選択をする。勉強をしたい人間と、畑仕事をやってほしいと思っている人間は相容れないということは、身内の離婚を見ていて骨身に沁みた。旦那さんへの愛情だけで乗り切れるような問題ではない。


先日、勉強の結果が1つ出た。おー、頑張った甲斐があったな〜と思っていたら、お義母さんがお花をくれた。おめでとう、とわざわざ用意してくださっていたそのお花は、可愛らしい鉢植えで「そのお花が終わったら、鉢がペン立てに使えるかなぁと思って」と照れつつ教えてくれた。

めちゃくちゃ嬉しかったが、あまりにも予想していない出来事に、お花とお義母さんを交互に見続けてしまった。ここまでしてもらえるほど、私はこの場所に、この方々に、何も渡していないし、これからも渡せないのに。

後に、旦那さんに、勉強することを歓迎してもらえたことが初めてで驚いた旨を伝えたら、それが当たり前だったらしい彼はあんまり私の言葉の意味が分からないという顔をして、「自分も勉強してきた人だからじゃないですかね」とお義母さんのことを評していた。

お義母さんは留学の経験がある。彼の祖母にあたるお義母さんもまた、最後に旅行に行くのはニュージーランドとシンガポールどちらが良いかな〜と彼に聞いていた。うちの実家では絶対に繰り広げられない会話がそこにあった。


顔合わせのとき、お義父さんがうちの父に「実家に入って欲しいという思いは全くない」と仰っていた。家のことは自分が始末をつける、という思い。その、子供に期待することなく、頼ることなく、自分たちのことは自分でする、と思っておられることが分かったのはその時。そしてその祖父母の方々もまた、そういう人たちだった。

自分が歳を重ねたときに、こう言える人生が送れたら最高だよなー、と、義実家でいつも思う。自分の力で、全ての始末をつける。なにも渡せない私だけれど、両親以上に、この人たちに何か返せたらいいなと思う。


不憫な旦那さんに全額寄付します。