お金を使う人、貯める人、勘違いの話。

私はお金を使うのが好き。
夫はお金を貯めるのが好き。

私はお金を、自分への投資として使う。
夫はお金を、将来への備えとして貯める。

とにかくお金への価値観が真逆な我々。

喧嘩はあまりしないけど、お金のことですり合わせの話し合いをしたことは何度もある。


ついこの間、こんなことがあった。

夫の実家に帰省する際、お土産を買う、という話になった。私の実家にはコロナ禍では帰れないため、お土産を郵送することにした。


Aのお店で義実家へのお土産を買い、Bのお店で実家へのお土産を買ったときのこと。私が支払いを済ませた後。


夫の義実家には祖父母もいるため、祖父母にもBのお土産を買いたいと夫が言った。私が分かった〜、と答えると、祖父母へのお土産はどの種類がいいか、義実家に電話をするため、夫は店から出た。


ぼけーっと待っていたら夫が店に戻ってきて、「これにしよう」と商品を指さした。おっけー、と私は答えたが、夫が財布を出す気配がない。


「ん?え?これ私が払う感じ?」と思いながら、実家へのお土産の支払いを済ませた後、財布を手に持ったままだった私が、流れるように会計をした。


店を出て、「ありがとう」と言われて、しばらく歩いていたのだけど、「え、夫の好感度が上がるだけの祖父母へのお土産、何で私が買うの…」とモヤモヤが止まらなかった。

「お金返して」というのも言いにくすぎて、ムムム…と歩いていたら夫が「どうしたの」と聞いてくれた。


モヤモヤのいきさつを話して、「ごめん、想定してた出費以外のものを払うことになったからびっくりした。責めたいんじゃないけどドキドキしちゃったんだよね〜」と切り出した。


夫はきょとん、としていた。私の話を真面目に聞いてくれているけど、私の話す言葉の意味が、心から分からない、という顔をしていた。

その顔を見て、私もきょとんとしてしまった。たかだかお土産程度の話で、ごちゃごちゃ言う私を、金の亡者と軽蔑した顔でもなくて、それがさらに私を混乱させた。

「意味が分からない」以外の意図のない顔。


普段、夫とは会話がポンポンと進むけど、このときは「え、私、外来語話してる?」と思うくらい、モヤモヤが伝わらなかった。



言葉を尽くして説明し、1時間くらい話して発覚したこと。



夫は、私の財布から出るお金を「家族のお金」と思っており、私は、私の財布から出るお金を「私のお金」と思っている、ということ。


今まであったお金でのすれ違いは、ほぼこの意識の差に集約されていることが分かったくらい、決定的な違いだった。


この価値観に至った経緯もなんとなく分かった。当然かもしれないが、私達は、両親のお金の管理に影響を受けている。





まず、夫の両親は、共働きだが、義父の扶養の範囲内で義母は働いていた。よって、生活費は、義父の口座に紐付けられたクレジットカードを義両親で持ち、お金を使っていたと思う、と、夫は言っていた。


つまり、お金が落ちる口座は同じだから、義両親どちらが払おうと関係ない、という考え。義両親に後日聞いてみたら少し運用は違っていたのだけど、大筋はそのような感じだった。




対して私の両親は、共働きだが、母は扶養に入っていない。同居していた祖母にも年金以外の収入があり、それぞれに1人で生きていけるだけの、単独の収入があった。


給与額も、貯金額も、お互い知らないが出費にはそれぞれ対応できる、という感じだった。


私たち子供の入学金など、大きな出費の度に話し合って、それぞれの支出額を決めているような家だった。


昭和中期生まれだと、そっちの方が珍しいこととは知らず、私の中でお金の常識は、独立採算制だった。


夫と私の実家で共通していたのは、無駄遣いはしない両親だったこと。逆にそのこと以外はほぼ違っている。

そんな環境下で育った私たちが、きょとんとし合った理由はそこだった。



話をちょっと戻す。



私はお金を使うのが好きで、夫から見たら無駄遣いに見えるようなことにも使う。

欲しいものがあるから買うのではなく、お金を使いたいから買っているのでは?と、別のときに夫に言われて、そうかも、と思ったことがある。

ものすごく家庭人に向かない性格だ。よく結婚したな夫よ。



その性格を逆手に取ることにした。お金を使いたいのなら、生活費を払えばいいじゃない、という結論になり、特に反論も思いつかなかったので、私たちはそれでいくことにした。


私の手取りから家賃、水道光熱費を払い、残り半分を夫に送金している。夫の手取りはほぼ貯金。


私はお金を使った感覚を得られるし、夫は手取りが1円も失われない月もあるので、使いたい私と、貯めたい夫のニーズが一致した。





待て。ちょっと待てよ。ということは…?



私は生活費を「私が」払っている、という意識があり、勝手に「養っている感」に酔っていた。


私の手取りで暮らしを回していると、私は思っていたけれど。夫は私のお金を「家族のお金」と思っていたとしたら。




「あのさ、めちゃくちゃおこがましいこと聞くけど、私が払ってる生活費を、家族からの出費と思ってるってことは、私の支払いに感謝の気持ちがある、とかは、もしかして、ない?」


「えっ、、、(永遠の沈黙)、、、うん、、、なつみが払うとき、俺の財布からお金を出すときと変わらない気持ちでは正直いるかな、、、」


「え、、、っ、じゃあ外食とかお買い物のお会計の後、『ありがとう』って言ってくれる、あの『ありがとう』は何への感謝なの、、、?」


「えっ、、、代表して払ってくれて『ありがとう』の気持ち、、、かな?」


「つまり、幹事への『ありがとう』と同じ、、、?」


「あっ、気持ちとしてはそれが近いかな」





な!る!!ほ!!!ど!!!!ね!!!!!
(血涙)




養ってなどいない。夫は、私たちは対等だよね、と私の心の頬にビンタを食らわせただけだ。私はお金を使うのが好きなだけの人間です。本当に失礼しました。




夫が可哀想なのは、私が無駄遣いをすると、「家族のお金」が無駄遣いをされたと感じるので、私がミスったお金の使い方をしたと、ヘラヘラ話でもしたら、夫は笑えない。

その考え方を知ってから、ヘラヘラお金を使ったら黙っておくことにした。ヘラヘラお金を使わないというのは約束できない。



散財癖とワンセットの私が、財布を握ったら大変なことになるが、私はお金に関わる仕事をしている。世界ってままならないよね。


ここまで読んでくれた優しいあなたと、仕事でお会いすることがないよう、心よりお祈り申し上げます。

不憫な旦那さんに全額寄付します。