【掌編小説】晴れのち島流し
青い海、寄せては返す波、南国を感じさせるヤシの緑、カモメの間の抜けた鳴き声、この優雅な絶海の孤島にただひとり、たたずむ青年がいる。
その青年は、さんさんと照りつける日差しの中、水平線を孤独に眺めて何を思っているのだろうか。多分、思ったより紫外線って痛いなとか1円にもならない感想を述べていることであろう。何せその青年は身につけていた全ての衣服を剥がれているのだから。そして何を隠そう、何も隠していないその全裸の男は私である。
いきなり素っ裸の男が現れて、読者の皆さんは戦々恐々、悲鳴鳴り止まないといったところであろうがしばし待たれよ。状況を説明させてほしい。
時は令和4年10月末日、国立大学にて大学祭実行委員--しかもそこそこの責任者--として多忙な毎日を送る私は、3日間ある大学祭本番の初日を無事終えることに成功した。自分の担当がオープニング企画ということもあり、一日目に全ての役割を終えたといっても過言ではない私は安堵感に満ち満ちていた。
その安堵感からか連日押し寄せていた寒波のせいか、その両方のせいなのか分かった物ではないが、翌日--学祭二日目--に私は驚くべきほどの体調不良になった。なんとかわいそうな私であるか。私は、今まで精一杯準備してきた学祭を1日しか味わうことなく家に引きこもる事になったのだ。
そんなかわいそうな学祭本番二日目の朝、学祭の実行委員長からあるメッセージが届いた。
『オープニング企画責任者様へ
責任者であるにもかかわらず、体調不良とは何事ですか。あなたのその健康不管理と寒さへの耐性の無さは罰するに値します。よって、あなたを島流しの刑に処します。
学祭実行委員長』
嘘偽り無く申し上げると私はそのメッセージを3度読み返した。一度目はさらっと流し読みをし、二度目は一文字一文字じっくりと読み、三度目は持ち前の想像力を存分に発揮し、頭の中で委員長の顔面をぽこぽこにしながら読んだ。こんなメッセージ受け取れる訳がなかろう。嘘であろう。
この令和の時代に島流しなどといった刑罰があることに驚きだが、それより前に体調不良によって渋々欠席せざるを得なくなった私に罰を下そうなぞ、どのようにしてそのような思考回路になるのか。頭でも打ったのか学祭事務局よ。
そのような不平をのたまっているうちにあれよあれよとこの絶海の孤島、ヤシの木数本と申し訳程度のカニ3匹しかいないこの無人島に島流しされたわけである。現在本土では、絶賛学祭中である。二日目である。
こんなへんぴな絶海の孤島にも電波は届くようで、学祭の楽しげな写真がぽこぽこと私のスマホに写し出される。実行委員のスタッフジャンパーを身にまとい肩を組んで笑っている写真。華やかなステージ上でミスコンが盛り上がっている写真。ただひとり砂浜にいる私を除いて学祭実行委員は今日という、学祭という3日間を存分に楽しんでいるのだ。それに対して今の私を撮ろうものなら、カニが目の前でコケたのを見てニヤついてる写真程度しか撮れないであろう。いささかかなしいものである。
からっと晴れた孤島は涼しく、全裸でも過ごしやすい気温である。海から吹いたやさしい風がヤシの木を揺らし、さんさんと照りつけていた太陽も雲に隠れ、穏やかな日陰が私を覆っている。
うむ。穏やかな日陰が脳細胞を活発化させたのか、ここで思ったことがある。学祭を楽しんでいる実行委員としての立場からしてみれば島流しは哀れむべき運命に違いないが、ひとりの人間としてこの状況を見てみるとどうであろう。海の青と砂浜の白、ヤシの緑に囲まれた孤島という最高のロケーション。加えて素っ裸というおまけつき。実に愉快で雄大ではないか。
とどのつまり、学祭での思い出における大事なことは「今この瞬間」を楽しむことにあるのではないだろうか。今この瞬間にステージ上で踊り観客を沸き上がらせたり、今この瞬間にステージ上で輝くミスコンを見てときめいたり。そういった、「今」を感じていくことが忘れられない思い出や、実に愉快であるという気持ちを生むのだ。
そう考えてみると、孤島で一人過ごす私も、かけがえのない「今」を過ごしているのではないだろうか。海風に髪をなびかせたり、浜に寝転んで雄大な空の青を楽しんだり。砂浜につけたお尻が砂のつぶつぶでちょっと痛かったり、急に現れたカニに驚いて「うわ」とかいう何のひねりもない声を出してしまったり。学祭でしか得られない「今」とは趣が違うかもしれないが、それでも私はかけがえのない「今」を絶海の孤島でひとり楽しんでいるのだろう。
そして、学祭の今と島流しの今を比較したり、それぞれが感じた「今この瞬間」比較をするのは野暮な話だし、比較できるわけもない。誰でもない自分が感じた「今」なのだから。つまりは、学祭に出られなかった私も今を楽しむことは十分に出来るし、思った通りに行かなかったという事実を楽しむべきなのだ。
そうして今を生きることによってかけがえのない一日が生まれ、スムーズに布団にくるまることが出来るのだと思う。
ヤシの影に腰をおちつけて私はこれからをそうやって生きて、今を大切に生きていこうと思った。
太陽が水平線へと顔を出し、赤く燃え上がった光が私の顔を真っ正面から照らした。海の青も、ヤシの緑も、なにもかもが赤く照らされたその孤島は、グランドフィナーレをかざる花火のように輝いている。
以上、絶海の孤島で暇を持て余し、しまいには我流哲学を披露するはめになったわけだが、実に愉快な一日であった。午前中には島に流され、午後から半日無人島で過ごすとはさすがに疲労がたまった。今日は健やかに眠れそうである。らんらんと照らす夕日をぼおっと眺めていると、学祭中に島流しというのも悪くはないなと感じてしまう。実に愉快だ。
このような地獄なんだか天国なんだか分からない無人島で、無意味なことは重々承知したうえで、最後に叫ばせていただきたい文言がある。
「誰か、私に着る物を持ってきてはくれませんか」
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