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いざ、再試験

単位を落としました。

文字数で言うと実に10文字にも満たない一文であるが、大学生にとってこれほどまでに絶望する一文は無いであろう。何を隠そう、今の私がとてつもなく絶望しているからだ。

時は初夏、7月の下旬にさかのぼる。心身共に健康な毎日を過ごしていた私は、来る8月上旬に行われる試験に向けて現実逃避を試みていた。試験期間というのは往々にしていろんなことがやりたくなる物である。普段は気にならないジャンルの本を読んでみたり、筋トレに興味がわいてきたり不思議な物である。

現実逃避をすることにも危機感を覚えてきた私はそろそろ試験勉強を始めようかと重い腰を上げたところで、唐突の頭痛と発熱に襲われることになる。シンプルな体調不良である。

新型コロナウイルスが流行しているこのご時世、シンプル体調不良であっても対面授業に出席するのは心が引ける。そこで私は勇気をもってテスト前で重要な内容が行われるであろう授業に欠席の連絡をいれることにした。担当教員からは見放されるような返信が来るのではないのかとひやひやしたが、そんな予想に反して教授の返信はどれも私の体をいたわるような内容ばかりで涙が流れる寸前であった。

試験一週間前に見事体調不良から復帰した私は、病み上がりの体をぱしぱしと叩きながらせかせかと試験勉強にいそしんでいた。私の体調を気遣うようなメールが送れるという、これだけ優しい教授は試験内容も易しいものであろうと、考えていた。完全に阿呆である。

そんな気持ちで望んだ試験本番。一番初めに抱いた気持ちはというと絶望のたったひとつだけであった。その絶望感たるやすさまじい物であった。見事に全部の問題何言ってるのか分からないのである。マクスウェル方程式だとか、ラプラスの方程式、影像法など、おまえは何を言っているのだ状態が試験時間である90分ずっと続いたのだ。

問題用紙をめくれどもめくれども、意味の分からない問題がでてくるばかり。それに対して、隣の人はすらすらとペンを進めている。あー全然分からない。これはもう一種の拷問である。拷問として使うとしたら罪悪感と焦りを感じさせる拷問としてよくできたものであると思う。

まだ氏名と学籍番号しか記入していない解答用紙や綺麗な問題用紙を意味も無くパラパラしているうちに、苦痛の90分間は終了を告げた。意気消沈した私は、その後のバイトなど全然実が入らなかった。ただ虚空を見つめて豚ロースにパン粉をつけて揚げる作業を続けた。とんかつなど揚げている場合か。

そして、来る仙台七夕祭りの日に試験結果が交付された。試験で罪悪感を感じてから実に二週間後の話だ。仙台七夕祭りと言えば、名物の花火が有名である。その打ち上げ直後に試験結果の通知が来たのである。私の単位は夜空に打ち上がり、爆音と共に光り輝き仙台市民に笑顔をもたらしたことになる。そして、その綺麗な花火と引き換えに、私は単位を失い、不合格の通知を受け取ったことになる。

その日は、不合格のストレスを晴らすために「夜ご飯は手巻き寿司でも」と思い贅沢にサーモンやマグロを買いあさった。見事手巻き寿司としゃれ込んだおかげでなんとか気持ちは持ち直すことが出来た。買い物のレシートの金額で「おう」となった気持ちですら持ち直すことが出来たのだ。恐るべき手巻き寿司、これから嫌なことがあったら手巻き寿司を食べようと思う。

そんなこんなで、体調不良と現実逃避により私の再試験が決まったわけである。そしてその再試験は来る11月17日に執り行われるらしい。ついに来たか。もう1週間前ではないか。時の流れよ、早過ぎはしないか。

最近noteにて投稿をはじめたこともあり投稿のモチベーションが非常に高ぶっている。紅葉狩りやハロウィンについての掌編小説を書きたくてたまらないのだが、ここはぐっとこらえて単位を取ることに専念するしかないみたいだ。致し方なし。

それでは、いざ再試験。いざ、単位取得である。ただ、11月19日に村田町にて大規模な花火大会が行われることが唯一の懸念点だ。私の単位を花火玉の材料に使われないことを切に願うばかりである。

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