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同じだよねという共感よりも、違いから生まれる豊かな何かを受け取りたい

(はじめに)

このnoteは、哲学者と一般人である私との往復書簡のようなやりとりを通して、ネット上での「対話」を試みたい&読者の皆様にも「対話」を提案しようというものです。今回は、私から哲学者の竹之内裕文さんにお返しします。
なお、私自身の環境の変化にともない、今後は2週間に一度の公開予定とさせていただきます。何卒ご了承のほどお願いいたします。

●双方が知らない事柄についてだけが「対話」になる

少し間が開いてしまい、申し訳ありませんでした。
新型コロナウイルスは、私個人の生活にも大きな変化をもたらし、新しい生活様式はもちろん、「新しい生活」が突如始まったため、そのリズムに慣れ自分の新しいペースをつかむまでに数週間を要してしまいました。
東京オリンピックを予定通り開催するか延期するかなどと、テレビがしきりに報道していた頃が遠い昔のように感じます。たった数カ月で、自分一人を取り巻く環境すら激変したことを実感します。

とはいえ、新しいリズムに慣れていく中で、これは大切だ、これは手放してはいけない、というものもはっきり見えてきました。

前の状態には戻れない。では、私は、私たちは、どうするのか……。いよいよ具体的に考え、ともかくも一歩を踏み出す(踏み出さざるを得ない)タイミングもさまざまに増えているように感じています。

さて、いよいよ「対話」について、本題に入ってきました。

前回、裕文さんは、私が投げかけた「未知のものと共に向き合う」の、「共に」への疑問に応えるような形で、対話に関する重要な事柄を記してくださいました。

「両者にとって既知の事柄については、問いが立てられず、探究的な対話が生まれない」
「双方にとって未知の事柄についてのみ、問いが生まれ、共有され、探究が進められる」

やさしく書いてくださいましたが、私流にもう少しかみ砕いてもよろしいでしょうか?(少し文法的に気になる書き方ですが、そのままぶっちぎります 汗)。

どちらにとっても、すでに知っている事柄については、「対話」にならない。
どちらも知らない、よくわからない事柄についてだけが、「対話」になる。

そして……、

「対話は、問いがなければ成立しない」

ここでまた、少し気になる言葉が出てきました。

「問い」とは一体何でしょうか?
すでに対話を何度も経験している私には、体感として理解できていることですが、これを誰でもわかるような言葉で説明するのは、まだうまくできません(「探究」という言葉は、一般的にはあまりなじみがないように思います)。

「質問」ではないか?と言う人もいるかもしれませんが、質問とは違う。質問とは、私→あなた、というような一方向のもののように感じます。

強いて言うなら、私→あなたという方向の質問である同時に、あなた→私という方向の質問でもある……という感じでしょうか。その2つの方向が同時に成り立つ「質問」が、「問い」になり得るように思います。

裕文さんが例に挙げていただいた以下の梅の木の話からも、そんな風に思いました。

たとえば縁側に腰をかけて、庭の梅について話す場合、「あなた」と「わたし」の視線は梅の木に向けられます。梅の木が加わることで、「あなた」と「わたし」の二者関係が三者関係に転じます。「あなた」「わたし」「庭木」を頂点に、三角形を描くことができます。

「あなた」と「わたし」は、すこし異なった座位から、同じ梅の違った側面に注意を向けます。二人の関心に応じて、目のつけどころも異なるでしょう。同じものを見ていながら、それぞれの着眼が違うから、梅の見立てがより豊かになる。(後略)

つまり「問い」とは、二人の前にある(=二人が共に〜一緒になって〜向き合う)梅の木、ということですね。

そして「対話」を行う時は、きちんと「同じ梅の木に向き合っていること」が大前提となるはずです。言い換えれば、「同じ問いに向き合っている」ということですね。

加えて、「梅の木」は、双方が知らない、よくわからない事柄であることも大切になります。本noteの第1回めの問いかけに戻りますが、それがまさに「未知のもの」となるのでしょう。

第2回めにしてフライングされてしまいましたが(笑)、「未知のものに向き合うためには、何が必要なのか?」という私の問いに対して、それは「対話」である、と裕文さんが答えてくださったように、私もそう考えています。

未知のもの……、それは私の場合、多くは「死」や「死にまつわるさまざまな課題」となりますが、それに向き合うには、対話が必要。いや、対話でないと、現実に直面する問題を解決できないとさえ思っています。

●なにを聞くのか、なにを聞いているのか

まず以下を引用させてください。

聞くは、“音や声を感じ取る。また、その内容を知る。香をたく”の意。
聴くは、“注意して耳に入れる。傾聴する”の意。
ーー「大辞林」より

辞書の意味をそのまま使わせていただくのならば、人の話を聞くという時、私は「聴く」のではなく、「聞いて」いると思っています。常にそうだというわけではありませんが、何か特定の情報を得るだけでなく、言葉として形作られる前の音や声……などを受け取っているという感覚があるからです。

先月の終わりに、私も世話人の一人として関わる「カフェあの世この世」という対話の会を初めてオンラインで開催しました。そこで私はファシリテーターを務めたのです。

終わった後、世話人全員が疲労からのびてしまいました。勝手が違うということもありましたが、私自身は何より「参加者から受け取れる情報が少なすぎる」ことに、大変に疲れていたのです。
そこで改めて気がつきました。私は参加者から、問いに対する考えなど“言葉だけ”を聞いていたのではない、と。また、発言している人だけでなく、それ以外の参加者から発せられる、言うならば“空気”“気配”のようなものを私は受け取っていた、聞いていたのだと思いました。

この“空気”や“気配”が感じ取れない環境がもどかしかったのかもしれません。私は強めの問いかけ(それはA or Bという選択の形になりましたが)をしてしまったほどです。

しかし、その問いかけに、参加者の方々は画面の向こうでシーンと凍り付いたようになりました。
その瞬間、私はこれを感じ取りたかった、受け取りたかったんだと思いました。一同シーンというような絶句がほしかった、というのではなく、言葉にならない反応、リアルな対話では普通に受け取ることができていた“空気”“気配”を、ファシリテーターである私は確認したかったんだと気づいたのです。

画面では感じづらい「そこにその人がいるという実感」、初めて会う方であってもその人から発せられている「その人自身であるという確証のようなもの」、それを確認したい、確かめながら話したい、とそんな風に思っていたのだと振り返りました。

対話に際して、私たちが聞いているのは、これではないでしょうか?

貴重な話も伺いました。施設に入所する認知症の親御さんは、実際に対面すれば娘と理解できても、ビデオ通話では画面に映っているのが娘だとはわからなかった、と。*

もちろんその人が発した言葉は非常に重要なものです。そこからまた、次の言葉が生まれていく。
でも、対話ではこれだけでなく、言葉には表れてこない「その人がそこにいるという実感」「その人らしさ」を感じ取って初めて成立するように思うのです。

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●そもそもなぜ聞くのか

たとえば、死について対話する時、問いに対して同じような考え、思いを抱く人も少なくありません。亡き人に対して抱く感情に、共感したり同意したりすることも多いでしょう。たとえば、喪失感や悲しみなど……。

では、同じような考えや思いであっても、それらはまったく同じと言えるのか。多くの人が、違う、と答えるのではないでしょうか。

私は、対話ではその小さな違いを丁寧に感じ取ることで、裕文さんが書かれていた言葉を引用するなら「それぞれの着眼点が違うから、梅の見立てが豊かになる」、その「豊かさ」を深く味わいたい。自分流に言い換えれば、「多くの情報」を受け取りたいと思っています。

なぜなら、私たちが向き合っているのが「未知のもの=知らない、よくわからないこと」だからです。

だから、「そもそもなぜ聞くのか」と問われたら、小さな違いを感じ取り、豊かさを深く味わいたい。わからないことに共に向き合って、見立ての違いから生まれた何かを手にしたいから、と答えたいと思います。同じだよねという共感よりも、違いから生まれる豊かな何かを受け取りたい。

私が「相手からのレスポンス(それは言語に限りませんが)があることが前提」だと書いたのは、そうでないと、見立ての違いがわからないからです。言い換えれば、違いがあることが前提、ということになりますね、月並みな言い方ですが……。
でもそれは、「だから、お互い努力してわかり合おう」というより、「違いから生まれる何かを受け取りたい」と思うからです。

だから対話は、「私の話を聞いてほしい」「私のことをわかってほしい」だけでは成り立たず、「あなたの話を聞かせてほしい」「あなたのことを知りたい」だけでも成り立たないのではないでしょうか。

というわけで、だからこそ「対等であること」が難しくも大切だという話につながると思うのですが、あまりにも長くなってしまいました。
「対等であること」についての裕文さんからの問いかけには、次回にお返ししたいと思います。

実際に対面して対話していても、数時間……という内容をnote上で行っていますね。時間的制限がないけれど、文字量は意識しなければと思うのですが……。


*文中に出てくる体験については、お話しくださった方のご承諾を得ています。

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