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【18歳】応援団/委員会/音楽有志団体

前回、日本舞踊以外にコーラス部に全力を注いだ過去についてお話しさせていただきましたが、

まだ他にもたくさん所属団体があります。

中高時代はとにかく、トライしたいことには全てチャレンジしました。

なので授業以外の時間はほとんどゆったりしている記憶がなく、

何らかの書類に目を通しているか、楽譜を見ているか、委員会室に行くか、音楽室に行くか、校庭で声出しか...

という毎日でした。

そうやって駆け抜けるその空間自体が私の居場所でもありました。

ここで何を書き残したかったかというと、

この後訪れる大学生活においては、

日本舞踊の活動と学業以外は全てスパッとやらないという決断をした

という話につながります。

大学でやりたいものが見つからなかったわけではありません。

ただ、のめり込むと、その分野に全力になる傾向があったので

色々なチャレンジをするのは高校まで、

大学はその経験を生かして日本舞踊の活動と学業に専念しようと決めていました。

ということで、その話題の前編

とにかくたくさんのことにチャレンジした高校時代。

応援団では3年間、リーダーではないポストから組織を学びました。

高1の時には素晴らしい先輩方の、組織を盛り上げて引っ張り上げる様子を見て

後輩を大事にすることが組織を良くするのだと学びました。

その学びが翌年、コーラス部で部長になった時

自分のコンセプトにつながりました。

委員会には6年間で3種類の委員を経験しました。

生徒主体の学校生活を運営するという立場を学んで、

自分自身も生徒であるからこそ、その生活を客観視して

問題点やいいところを探すことがとても新鮮でした。

日本舞踊において、自分が幼い頃から馴染みのある領域こそ

少し客観的に見てみることで、

何か見えてくるものがあるという気づきに、つながることが出来たと思います。

音楽室有志というのは、文化祭で自由に組むことができる有志団体の一つです。

私は歌を頑張っていたので、ピアノやバイオリンに取り組む仲間と組んで、

3年間、毎年それぞれ新しい団体をおこしていました。

行事が多く、1年があっという間な中で

毎年新たに団体を作り出し、コンセプトや企画を作るというのは

けっこう忙しいものでした。

でも、こうして短い間で新しい企画を考え出すことの原点は、

まさにここにあったと思います。

どの経験も、全て今の仕事にそのまま活きています。

たくさんのことに、思い切ってチャレンジして

毎日毎日、目標に向かって走っていた青春時代は

とても貴重な宝物です。

日本舞踊家 有馬和歌子




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