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2年が経ったので振り返り

毎日暑い日が続いています。
日本の夏に比べて、ここニューヨークは湿度が低く、過ごしやすいのだけど、やっぱり暑くて体力を消耗すると、毎年この時期になると言っている。
2年前の夏を除いて。

2年前の今頃は入院中だった。

その年の5月3日、極度の貧血で動悸息切れが激しく、歩くこともままならなくなってER(エマージェンシールーム)に駆け込んだ。
生理の出血量が凄く多いことを医師に告げると、先ず血液検査、結果を待っている間に子宮からの出血を疑い子宮エコーと内視鏡検査。子宮は異常無し。ただ血液検査の結果がとてつもなく異常。。。汎血球減少(赤血球、白血球、血小板)全ての血球が減少状態だった。
医師曰く、これは造血幹細胞に何か絶対異常がある。それを検査する必要があるとのこと。

ただ現在の私の主訴は「酷い息切れ、動悸、眩暈」です。身体から血色が全て消えて全身蒼白状態だったから、先ずは貧血状態を改善させることをERですると。何をするか?

輸血です。

3単位赤血球製剤輸血

先ず1日使って約2.5リットルの赤血球製剤を輸血してヘモグロビン数値を上昇させました。来院時私のヘモグロビン数値は2g/dL(基準値12.0 - 16.0 g/dL)しかなく、いつ心不全を起こして死んでもおかしくない状態だったらしい。この輸血で6g/dLまで数値が上昇した私は、身体はポカポカし、唇や目の下瞼や爪、頬に赤味が戻った。心臓バクバク、息切れで歩けなかった私がスタスタ歩ける様になっていた。輸血の威力は凄い。(でも2,3日後にはまたヘロヘロになる。。)

左手の甲にルートを取られ輸血

体調も良くなり帰宅したかった私。それは、もちろん叶わず。そのまま病棟に移動して入院。これから検査で原因を探る。たまたま心配して友人が来てくれたところだったから心強かった。
ERとは違い、大きなベッドで身体を伸ばして寝ようと思ったら、今度は血小板の輸血。(この日(5月3日)から8月4日まで輸血で生きることになる)

翌日担当医療チームの医師が来て、「血液検査の結果、白血病等の血液癌の心配は無いけれど、原因を調べる為に【骨髄検査】をする必要がある」と言ってきた。

恐怖の骨髄検査。。
下記動画をご覧ください。

この動画は穿刺だけですが、この後、生検といって骨髄を少量採取します。麻酔の時の痛みと、グリグリと太い針が骨を貫いていく感覚が最悪です。そして、骨髄液を引っ張る時の痛みは。。。血液疾患の患者たちの中でワースト1の検査がこれです。

結果が出るまでの8日間、輸血以外の治療は無しで薬もサプリメントの葉酸のみ。頻繁に行われる輸血以外は日がな一日何もせずにベッドの上と、病棟の廊下をウォーキングするだけ。輸血のおかげで元気な私は、家に帰りたかった。そして医師に話してみた。
結果は即却下。
まだ未治療状態だし、転んで頭を打ったりしたら脳出血で死んでしまうと。。そうですか。。。

入院中の食事。グリーンピース、スパゲッティ、チーズチキンカツ

そして検査結果が出た。再生不良性貧血と診断された。毎年100万人に5人が罹患するといわれている稀少難病。
治療方法として骨髄移植と免疫抑制療法があると言われた。
完治させる方法は骨髄移植しかないけれど、決して安全な治療ではない。毎年30%の人が命を落としていると。幸い私は、即骨髄移植しかないという状態では無かったので、医師から免疫抑制療法を勧められた。

免疫抑制療法

ただ1つ問題があった。
ATGは、今いる病院では出来ないという。ということで、系列の巨大病院bellevue Medical Centerに転院が決まった。そして、その日の夕方に病院が用意した救急車に乗って移動。
5月3日にERに行って以来、初めて外の空気を感じ、吸うことができた。それがストレッチャーの上からでも、救急車に移動する僅かな時間でも、外の空気と行きかう人々の日常を感じて涙が出た。

転院翌日。その後長い付き合いになる担当医師がベッドサイドに来て衝撃の発言。

「これから、もう一度骨髄検査をします。」

えっ⁈ つい先日やったばかりの二度とやりたくない検査。。。検査結果のデータは送られて来てる筈ですよねと聞くも、必要な検査項目が抜けていたからと。
仕方がない。。でもこれが、前回に比べて凄い激痛で声と涙が出た。この検査は医師の腕次第。。

病室からの眺めは美しい。イーストリバー

入院生活は、ATGに耐えられる心臓を持っているかの検査(心臓エコー、負荷心電図)と心筋シンチグラフィー。この心筋シンチグラフィーは「心臓核医学検査」で核が使われていて怖かった。
それと1日おきにする輸血のみ。輸血ばっかりしているので、看護師達から「ブラッド・ガール」と呼ばれるように。。。吸血鬼かって。

そして、体力保持の為の病棟内ウォーキング。毎日病棟内をぐるぐる歩き回っている私を見て、看護師から「Fall risk」の黄色いリストバンドを手首に巻かれた。転んだら危険な人認定証です。

手首に巻かれた転んだら危険認定バンドw

心臓の検査も全て問題なしだったので、早くATGを始めたかったのだけど
また問題が。。。この治療はとても高価だから私の保険で対応できるか審査しなければいけないと。結果が出るのに3週間ぐらいかかると言われた。
ということは、これから3週間輸血のみで入院を続け、審査が通たら治療に更に1か月入院??? 
そこで、崩れかかっていた私のメンタルが崩壊した。ずっと家に帰りたかった。入院してから毎晩泣いていた。

輸血だけなら通院で出来る。何としても治療を待つ間は家に帰ると決めた。医師が来るたびに「一度家に帰らせてくれ」と何度もお願いした。医師の前でも涙が止まらなかった。医師の気持ちもわかる。未治療の私を家に帰して転んでもしたらと思うでしょう。
最後にはメンタルヘルスの医師まで登場したけれど私の意志は変わらず。

結局特別措置で、保険の審査が通るまでの間一時退院が許された。毎週の輸血通院は必須だけど。

そして期間限定だけど、ERに駆け込んでから約1か月ぶりに外に出ることができた。自宅に戻った日は夜10時に就寝。翌日起きたのが午後3時w 17時間一度も目を覚まさずに熟睡w 起きた時午前3時かと思ったw
どれだけ疲れていたのか。。。

一時退院編に続く

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