中野信子氏 エレガントな毒の吐き方 に思う 京都の見方 ある意味 分析

ぶぶ漬け と 応仁の乱 は、関西人が京都人を言葉遊びでちょっと笑うときの常套句です。京都人の前では使いません。それがいつの間にやら、本になるほど全国的な京都の枕ことば化してしまった。まあ、分かりやすいですけど。少なくとも50年以上前から使われています。
あと、氷砂糖、知ってはりますか?

267ページに
 仁和寺の桜みたいやね
という話が出てきます。

仁和寺の桜 といえば、三室桜

https://ninnaji.jp/cherry_tree/

ということですが、息子さんが連れてきた彼女が京都人ではない、ということがわかります。相手が京都人だと、これはモロにバレてしまう言い回しです。
このお母さんは、息子さんを嫁になる彼女に盗られる感があるのが見てとれます。

この喩え的言い回しは、関西でなくともよく使われます。
ルーツというか、喩え話法が磨かれたのは、連歌にルーツがあると思います。上の句があって下の句に続けて喩え話法のような、状況を表現する言葉遊びです。

〇〇と言って△△と説く。その心は□□□。というアレです。それをサラッと言ってしまうのは、永年貯めた教養を持ってる、という自負が少し入った、共通言語、共通意識、ある程度の地域社会モラル、ルールを共有しているという前提を持っている暗黙の了解が存在するということで、いわゆる田舎の常識みたいなものです。

それを都市生活に活かしているというか、自然と出来てきたのが、いわゆる京都のいけず。

何代も続いたら、洗練度も上がりパターン化してくるのやろな、とおもいます。田舎なら顔を合わすのはほぼ同じ階級の人だけど、都では商人、お公家や武士、僧侶といろんな階級の人と付き合う。教養レベルアップが起こる。

バックボーンの知識がないと理解できない言い回しは、イギリスなどの映画にも出てきますね。

そんな社会に適応したのが、いけずも含めた京言葉。

大阪人のしつこい笑いとり癖も面白いので、また誰かの本になったら、ネタになったら、どうやろね!?
(呆れるくらいしつこい人がいたら、その方はきっと観音様の生まれ変わりで、世の中に光を増やそうとしていらっしゃるのです!合掌)

そうそう、京都と言えばも一つ、この本も物議を醸し出した名作です。
「京都ぎらい 」井上章一氏(朝日新書) これは「洛外」の人=鴨川より東といえば祇園や岡崎公園のある東山区で、他府県人から見たら立派な「京都人」なのに、「洛中」の人ではないそうです。


ざっくり言うと、祇園祭の鉾を出す、または出していた地区、らしい。

これはオマケ

詳しくは以下の引用をご覧ください。
以下抜粋です。

現在の「洛中」がこの範囲かと言うと、実は微妙でして…。
京都人の頭の中では、もっと狭いエリア限定になっていたりします。

どれくらい狭いかと言うと、「洛中言うたら、鉾町あたりのことや、北はせいぜい御池通やな」という方もいらっしゃるくらいです。
この場合の洛中とは、四条烏丸周辺の、祇園祭に山鉾を出す町内がある室町近辺のみ、ということになりますね。

そこまででなくても、洛中は御土居の範囲よりずっと狭いという感覚は確かにあります。

現在の上京区、中京区、下京区は洛中ととらえて差し支えないでしょうが、上のような例もありますし、一概にどこまでとは言いづらいのです。

例えば北区の堀川北山あたりは、御土居の内側ではあっても、室町界隈の方にとっては立派な洛北で、この辺をネイティブ京都人が間違えると微妙な空気が流れたりします。

「京都と言うても、うちは北の方で…しきたりやなんかは、ようわからしませんで…(訳:洛中の人間じゃないので、今後なにか粗相があったらごめんなさい)」
みたいな予防線が必要な場合もあったり…。

なんとなく、ご理解いただけるでしょうか?
鉾町のマップ。めちゃ狭い!

http://www.e-kyoto.net/upload/upload_20100605141150.pdf

この地区をPURE RAKUCHU として、もうちょっと広げて RAKUCHUは御所南小学校、御所東小学校、高倉小学校、新町小学校の校区当たりまでということになるのでしょうか。

PURE RAKUCHU は、やはり真の京都人としての誇り、プライドが住みついていると思います。
旧御所周辺で、お公家や有力商家が多いところのはずです。お祭りの格式もそれなりです。祇園祭の当屋さんはテレビで観てるだけですが、普請やお衣装の誂えなど、どう見ても数百からX千万円はかけているでしょう。田舎の祭りの当屋でも何百万は当たり前ですから。


ブラックマヨネーズさんが登場しますが、太ってない方の吉田敬さんは、伏見区出身。藤森界隈なので伏見神社の近く。京都といっても伏見、というのは、伏見区は、1931年に伏見市が京都市に併合され誕生。京都の外側の京都。

同じく小杉竜一さんは、桂、つまり西京区。川の向こう側、桂離宮がある桂なので、もう完全に京都郊外。

でも、完全に京都文化圏のど真ん中なので、関西圏の私たちから観ると、マジで京都人です。

農村部の田舎の付き合いに似た部分はありますが、やはり文化的歴史的なバックボーンが、京言葉として、外から見たら「いけず」、になっているのでしょうね。きっとクラッシックな町で、洛中に似たところは、全国どこかにあると思います。



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