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使節と船団の編成

 遣唐使船は前期では2隻、後期は4隻が基本で、1船に120 ~150 人が乗船している。その構成員を大
別すると、①使節員、②船員、③随員、④留学者となる。
 遣唐使の主要任務は唐との通交にあり、①の中心となる官人には相応の能力・学識が求められた。大宝度の粟田真人は服装・容姿や中国的教養が評価されており(『旧唐書』日本国伝)、彼は白雉4年(653)の留学僧道観の後身で、こうした留学経験者の起用例もある。
 ただ、大使は四位くらいで、かつ1~2年は必要な任務に耐えるだけの体力・気力が不可欠であり、壮年の出世の早い人ということになると、8世紀以降では律令貴族として地歩を固めていく藤原氏の一族や政務の手腕・学芸などで先代の天皇に寵愛を受けた人物が登用される場合が多い。万葉歌人として著名な山上憶良は大宝度の最末席の官人だった。②は船を動かすために不可欠な人員で、遣唐使船には帆もあったが、人力で航行することも多いので、人数としては一番多かった(半数近く)。水手には北部九州の人びとが起用された。③には遣唐使が唐に滞在する1年間程の間に、唐で様々な技術の研鑽に励むために同行する、いわば技術研修者のような人びともいた。④には長期留学と短期留学がある。長期留学者は次回の遣唐使が到来するまで、後期遣唐使段階では20 年間くらい唐に滞在し、それぞれが目的とする学芸や仏教の研鑽に努める(留学生・僧)。短期はその回の遣唐使の滞在期間中に、各人の課題に集中的に取り組み、遣唐使とともに帰国するという方式で、請益生・僧と称された。


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