アメリカ留学という異色の経歴を持つ家元 【煎茶道東阿部流五世家元】土居雪松氏インタビュー
取材・文 /『和華』編集部
東阿部流の家系に生まれたが、若い頃は家元を継ぐことに抵抗があった。しかし海外生活から日本に戻った時、伝統の大切さを再発見した。煎茶道を総合芸術として捉え、作法や形式だけではなく、より内面を深めて歴史や漢詩からその精神を学ぶことを重んじる五世家元・土居雪松氏に煎茶道の伝統とこれからを語ってもらった。
特別インタビュー: 土居 雪松 ( どい せっしょう )
1963 年、横浜市に生まれる。四世家元に師事。高校よりアメリカへ留学。1994 年(一財)煎茶道東阿部流理事就任。1996 年、五世家元襲名、
(社)全日本煎茶道連盟理事就任。1998 年、(財)煎茶道東阿部流理事長就任。現在、(一財)煎茶道東阿部流理事長・五世家元、(一社) 全日本煎茶道連盟常任理事、鶴見区茶華道協会会長。
東阿部流とは
煎茶道は古くても幕末頃、明治~大正に始まった流派が多い。東阿部流の興りは明治頃で、100 年以上の歴史を持つ流派である。初代家元は稲尾雪松、その後二代目が継いだが戦争で疎開した際、土居氏の祖母が家元を託されて三代目となった。そして父親が四代目、土居氏は五代目にあたる。初代家元が定めた東阿部流の精神を顕す流是には、「感謝」、「互譲」、「奉仕」、「反省」の 4 つがある。「感謝」は自分を支えるすべての物に対する感謝。「互譲」はお互いに譲ること。日本的な文化だがお茶にも大切なものだ。
「奉仕」は精神的なもの。どんな時でも、させて頂くという謙虚な気持ちを持つこと。「反省」は自分の良いところも悪いところも振り返って次に活かすことだ。
これがいつの時代も変わらぬ東阿部流の根本である。家元が変わればお点前の順序など形式的な部分も時代に合わせて少しずつ変わる。ずっと同じことをし続けることばかりが伝統ではない。ただし、それは今も大切に受け継がれる「流是」の精神に則った上でのことだ。
▲第30回東京大煎茶会にて
家元になるまで
土居氏は家元の家に生まれ、子供の頃から周囲に「大きくなったら家元になる」と言われていたので、最初は抵抗感があったという。しかし高校・大学時代にアメリカに留学しているとき、たまに帰国すると逆に日本での感覚が新鮮に感じられた。その中で実家が伝統文化を受け継いでいるということが非常に大事だと思うようになった。大学に入る頃には家元を継ぐ決心がつき、卒業後に本格的にお茶の稽古を始めた。ずっと日本を離れていてお茶に携わっていなかったので、
ほぼゼロからの出発だった。煎茶道ではお点前の順番やお茶の美味しさも大事だが、さらに大事なのは煎茶に関わる知識だと考える土居氏は漢詩も学んでいる。煎茶道はもともと中国の文人・士大夫のような存在に憧れた日本人が始めたものなので、その思想に近づくためだ。
▲インタビューにこたえる土居雪松氏
勉強も始めは大変に感じたが、徐々に楽しさを見出せるようになり、お点前も好きになっていった。特に煎茶道具が好きで、景徳鎮の古染付などをみるのを好んでいる。煎茶道具は古いものでは明末清初や清の時代に入ってからのものなどがあり、知れば知るほど魅力が見えてくるという。
また、かつて岡山の文人・浦上玉堂がよく弾いたという「七絃琴」や画などにも憧れがあり、様々な伝統的芸術に興味を持つようになった。煎茶道を総合的な芸術として捉えており、そのような知識をふまえてはじめて煎茶道として意味があるものになると考えている。
煎茶の「道」とは
稽古事を「道」と捉える考え方は日本独特で、柔道、茶道などいろいろな「道」がある。たとえば柔道は勝つことが目的かもしれないが、その過程では練習が必要だ。同じことを何度も繰り返す、いわば訓練を続けるうちに、考えなくても体が勝手に動くようになる。お茶も同じで、そのプロセスが自分自身を成長させる。
煎茶道では、ただ順番通りにお点前をすればよいというものではなく、手付きや動作をいかに美しく見せるか、一瞬間をもたせるほうが美しく見えるかもしれない、など自分で研究して試行錯誤する。
▲別の茶碗でお湯を適温まで冷ます
▲茶碗を温める
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