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なんだか人生いい感じ~、かも。

自分について考えてみる。
いつだって自分について考えてきた。
他人についてもだけど。
あらゆることを考えて、考えなくてもいいことまで考えて、悩んで苦しんで孤独に絶望して、二十数年。そこから結婚して子どもが産まれて、何かが満たされた一方、それ故の悩みや葛藤やもやもやを抱えつつ、数年経った。

人生のステージの変化と、それを味わった年齢がちょうどよく絡み合って、ものすごく濃密な数年。経験値を得た数年。
節目の度に、「まだこれだけ?体感では10年くらいだよね。」といつも夫と言い合っている。

30、40、50と歳を重ねるほどいろいろなことが気にならなくなり、人生が楽しくなるという話を聞くが、私にもその兆しが見え始めているな、と最近思う。

もちろん、相変わらず悩みは尽きないし不定愁訴も絶えないし、そんなことを挙げ始めるとキリがないが。。。

レールから外れることへの恐怖と抵抗が、少し減った。
そもそもレールなんて、正解なんてないということに気付いた。
自由なんだと。自分次第なんだと。
子どもがいたって、お金がなくたって、自分自身のための夢を持つことはできるし、それは大切なことなんだと。

疲れたとか、どうすればいいか分からないとか。
友だちと話したいとか、新しい服がほしいとか、ビールが飲みたいとか、どこか遠くへ出かけたいとか、熱いお風呂に入りたいとか。
自分の欲求を叶えるのは自分しかいないということにも気づいたり。
「これがしたい」と言っていいんだし、自己完結する範囲なら、相談もなく承認も得ず自分の判断で実行していいのだ。
私の父と違って、夫は報連相は求めていないらしい。自分のことは自分で決めていいっぽい。どうやら、私の思い込み刷り込み性格エトセトラが激しかったようだ。
「これがしたい」と私が言ったら、夫に「いいね」と言ってほしいし実際そうしてくれる。私もそう言いたい。それが幸せの源ではなかろうか。
それに伴って、やはりそのための時間やお金は必要で、確保しなければならないものであるということ。

目から鱗の日々である。

おそらくこの先苦労もするし、辛いこともあるし、詰んだ~とか、なんなんだこの国は!とか不平不満文句たらたらの私もやってくる。
と、予想していても実際その時がやってくると落ち込むしオロオロするし何も考えられなくなるし、ひたすら嘆くだけになることもあると思う。笑
けれど、夫や娘と暮らすうちに気付いたこういうことが、あるとないとでは大違いだ。もう丸腰じゃない。私には装備がある。大切な装備が。


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