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放課後、空き教室で

大学受験は自己推薦だった。
小論文と面接があった。
日本文学を専攻できる学部を志望していたので、必然的に国語の先生に面接官役をしてもらうことが多かった。

ちなみに、高校受験の時の面接では、
「卒業後はネイルの専門学校に行ってネイリストになります」と言っていた。それが結局自分の原点に立ち返って文学なのだから、よくもまあ同じ人間の考えることがたった3年で変わるなあとあんぐりする。

閑話休題。
その日の面接官役の先生は、中年の男の先生だった。その先生の授業は受けたことがなく、話すのもその日が初めてだったのできっとわたしはいつも以上に緊張していた。
その先生は大柄で四角い眼鏡、いつもカッターシャツの袖をまくりあげて、いかめしい顔をしていたからだ。
その先生はいつも図書室にいて、仰々しく布張りされた全集を読んでいた。あー、文学が好きで国語の先生になったんだなあ。とその時わたしは単純に思ったのだった。
まるで明治時代から抜け出してきたみたいな雰囲気を持つ先生だった。というのは確実に言い過ぎだけれど、まあ昭和初期のエッセンスくらいは放っていたと思う。こんな先生と文学について話せたら楽しいだろうな。と少し憧れていたので、面接練習の相手をしてくれると決まって「よっしゃ」と自分をアピールする気まんまんだった。

そんな風にして始まった面接練習。
その先生は、わたしに、こう問うた。
「10年後どのような人になりたいですか。」
あるいは「将来どのような人になりたいですか。」だったかもしれない。
わたしは頭が真っ白になった。そんな質問、この先生からされると思っていなかったのだ。もっと言うと、15分程度の面接で聞かれることなんて文学に関係のある質問か、高校時代の実績、あとは尊敬する人くらいだと思っていたのだ。
どうしよう、答えは用意していない。
相手が「ちょっと憧れの国語の先生」だったので、わたしはあわてふためいた。絶対に「ふむ、おもしろい」と感心してもらわねばなるまい。
わたしの無駄に高いプライドといつもの負けず嫌いが顔を出した。こんな自分だから「ありのままの自分」はむずかしく、羨ましい。

「人に影響を与える人になりたいです。」

頭ではくるくるとそんなことを考えながらも、わたしの口が勝手にそう言っていた。
脳はGOサインなど出していない。脊髄の仕業である。
だけれど、自分自身の深いところに眠る本心だと感じた。
それが無意識に言葉になって出てきた快感が、上靴に包まれたつまさきから昇ってきてそのまま全身を貫いた。
こういうことが人生には何度かある。

「おもしろいことを言う。」

先生はそう言った。
わたしが酔いしれた快感は、先生のこの言葉の所為だったかもしれない。

その後の記憶は全くない。
そしてわたしは無事大学受験に合格した。

あれから10年以上経つが、
そんな人にはなれていない。
この思い出がふと蘇り、今もまだなりたいか考えてみる。
なりたいような、気がしている。

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