手段と目的

高校時代、一番好きだった科目は倫理。
先生がめっちゃ渋くてかっこよかった。
そして今にして思えば、ご自身の教育理念が明確でそれに真摯に向かわれていた先生だったなあ(先生のステキエピソードは後述。興味ある方は最後まで読んでください笑)。
当時、倫理の授業で覚えたこのフレーズが最近よくリフレインする。
自己および他人の人格における人間性を、常に同時に目的としてのみ取り扱い、決して単に手段としてのみ取り扱わないよう行為せよ。
30年前に覚えた文章がふと浮かび上がってきたことが、なんだかすごいなと思った。私がすごいんじゃなくて(笑)人の記憶というかそれを想起する仕組みというか。いや、この言葉を覚えていた私もすごいけど。
余談はさておき、この文があらためて身に沁みる。
他者を、そして自分自身を「手段」として扱っていないか?
その人の人間性、生きる目的を尊重しているかどうか?
他者についてももちろんだけど、自分自身についてもまさしくそうで。
これが私のミッションである「自分で考えて行動する人を育てる」こと。
そして、その一歩として「自分の感性に敬意を払う」こと。
私の中で湧いている今の感じは?
どんなエネルギーが湧いているか。
その勢いは?
何か意図を混ぜていない?←ここが「手段」がはいっちゃうポイントだな
私はどんな気持ち?
で、私はどうしたいの?
何か気づきや違和感があったときは小さくてもそれを放置したり蓋をしたりせずにその違和感が何なのか、また自分と対話するということ。
気づきはその人にもたらされた神様からのギフトだと思う。
それを大切にすることこそが自分自身を大切にすることであり、幸せのベース。
自分の内側がOKならそのまま続けて、違和感があるなら行動を変えてみる。
他者のことが気になったら勝手に憶測して決めないでちゃんと聴いてみる。
そしてまた感じて、思って、考える。
自分と対話して、自分とまっすぐ向かい合っていたら基本的に何やってもうまくいく。これはほんとに間違いない(※当社比)。
自分の小さな気づきをキャッチして、そこから対話を深めて「今ここ」を選択していきたいなとあたらめて思った今日。
さて、お待たせしました(笑)
倫理の先生の超個人的萌えエピソード
その1.ご自宅から学校まで約10キロぐらいある道のりをランニング(or自転車)で通勤。
その2.試験問題。多分、私たちのときではなく先輩の話だと思うけど、設問が「愛とは何か」。自由記述で配点30点。
その3.バレンタインにチョコ渡したら(軽いノリ)ホワイトデーに月のクレーターの写真にメッセージ書いたものをいただいた。←ああ、そういえば天体も好きな先生だったなあ
とか書いてたら、やっぱり「先生」の存在っていろんな意味で大きいんだなあとあらためて思った。
私もそういう立場になることも多く、身の引き締まる想い。
だからこそ
自己および他人の人格における人間性を、常に同時に目的としてのみ取り扱い、決して単に手段としてのみ取り扱わないよう行為せよ。

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