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マスクギャップから考えること

ギャップ萌え、という言葉がある。冷たいと思っていた人が実は優しかったり、頼りないと思っていた人が助けてくれたり、普段とは違う一面を目撃した時に、「おぉ〜」ってなる現象。

このギャップ萌えに似た現象が、私のまわりで多く観測されたのは、「ニューノーマル」が始まった今年の夏だった。そしてそんな「ギャップ」というものを、なんだかなあと考え込んでしまった今年の秋の私の頭をここで整頓しておきたい。

このご時世、どこへいくにもマスクが必需品だ。「はじめまして」の挨拶もマスクのままで交わされることがほとんどだ。知り合いになっても、なかなかマスクをはずす機会に巡り合えない。マスクをはずすまで、その人の顔は、目しかわからない。「わからない」という空白は、空白のままにしておけない。私は勝手にマスクの下の顔を想像で補ってコミュニケーションをとった。似ている友達、似ている有名人、似ているキャラクターetc。いろいろな「おそらく」を作り出して、コミュニケーションをとる。そうやってコミュニケーションをとる時、私はコラージュをしているような気分になる。雑誌やチラシから気に入った写真を切り抜いて、相手の顔に貼り付けているような、そんな気分に。

そして、はじめてマスクをとった顔を見る時、予想との違いに気づく。この「予想との差」というものが「ギャップ」であり、「意外!」と言われたり「らしくない」と言われたりする要因になる。

マスク文化が浸透する前から知っている親しい人でも、たまに顔をまじまじ見ると、普段自分が相手のディテールを省いて、簡略化して接していることに気づく。あれ、こんな顔してたっけ、こんな表情してたんだって。週に何度も顔を合わせているような相手でも、新鮮に思うことがある。自分は、今まで関わってきた人について、その人のほんのちょっとしか知らなかったんだな、と思う。ほんのちょっとしか知らないのに、そこからはみ出したものを見た時、「萌え」に集約される特別な感情を抱くのならば、私たちは予想という行為によって、大事な何かを掴み損ねているのではないだろうか。

顔だけの話ではない。私は、何を根拠にその人を想像していたのか。なんて限られた情報・時間だけで、その人をカテゴライズしていたのか。自分にとっての「全て」が、その人にとっての「ほんのちょっと」であることに自覚的ではなかった。自分は何も知らないから、自分の知っている情報だけを頼りに、その余白を自分の都合のいいように解釈して、きっとこうだろうだとか、おそらくこうだろうとか、そういう推測で生きてきたんだ。

人それぞれ、生きてきたぶんだけ経験があって、思想がある。その経験や思想がその人の人柄や行動を形作る。経験が違えば、同じものでも全く違う意味を持つ。たった数回のコミュニケーションでは、他者のことを本当にちょっぴりしか知ることはできない。根本の思想を知り合うなんて、時間をかけなければ不可能だ。根本の思想を知り合えなければ、本当にわかり合うことなんてできない。

でも、この慌ただしく流れていく世界で、私たちは出会ったその瞬間から、じっくりとかゆっくりとか、そういうところからはかけ離れた場所で、もう交流をはじめなければいけない。多くの場合、第一印象を引き連れた状態でかなりの期間コミュニケーションをとる必要がある。もしかしたら、第一印象だけの付き合いで終わってしまうかもしれない。

第一印象は3秒で決まる。だから、「第一印象をよくしましょう」ってよく聞く。わからなくもないけれど、おいおいまってよ、と私は思う。私には19年生きてきた「今まで」がある。つまり私には6億秒分の「今まで」がある。なのに、そのうちのたった3秒で、相手にとっての私、私にとっての相手が形作られてしまう。しかも、第一印象というものはなかなか覆すことができないらしい。たった3秒で自分の人生は変えられないのに、たった3秒で自分の人生が仮想されてしまうこと、しかもその仮想はほぼ断定に近いこと。第一印象でなんて、私の内面的なことは何も伝わらないのに。そう考えると、もどかしいような、手で払いのけたい甘ったるい空気が漂う。

何もない状態を私たちは「0」とする。何かで表すことでしか、話を進められないから。マスクの下を想像することでしか、相手とのコミュニケーションをとり続けることはできないし、相手の「次」を予想することでしか、私の「次」はきめられない。

確かに、私たちは予想が好きだ。推測が好きだ。普段通りを好むし、「いつもの」が安心する。私たちはたった3秒を信じるし、それは現代社会で生活し円滑なコミュニケーションをとる上で、ある程度必要なことではあると思うけれど、それでも、その3秒の分母は何億秒とかそういう大きい数字なんだってわかっていることが大事なんじゃないかなと思う。まっさらなままは不安だから、なんとかして埋めようとするのだけれど、そのうめた自分の言葉やイメージにいつまでも縛られないようにしたい。

そう簡単に人の根本の性質はひっくり返らない。私たちはコミュニケーションをとる時、ただ混ぜこぜになったカードをランダムに引き当てているだけなんだ。第一印象は、たった一枚のカードにすぎない。人にはその人が生きたぶんだけカードがある。そしてそのカードは、しっかりと心に括り付けられていて、何億という単位の時間の中から生み出された経験や経験から意味を持ち、その意味は私とは違いうることを自覚しなければいけない。そして、自分にとってどんなに予想通りのことが起こったとしても、相手にとってのそれは「特別」である可能性も考えなくてはならない。私は、相手が生成したカードを、私の辞書に照らし合わせて読んでいる。

(2020/10/29 今日は髪を茶色に染めました。)

60(秒)×60(分)×24(時間)×365(日)×19(年)=599184000(秒)≒6億(秒)


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