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人並みのことをしていては人並みにしかなれない。

先日の読書会で、インドの聖人ラーマクリシュナの事が書かれた本の中にこんな一節があった。

たいていの親なら叱りつけて無理にでも学校に行かせるところだが、父のクディラムは叱言一つ言わない。ガダイの好きなようにさせていた。これが偉大な人になる為の道筋だと信じて疑わない。

人並みのことをしていては人並みにしかなれない。

『インドの光 聖ラーマクリシュナの生涯/田中 嫺玉』より

ブッダと並ぶ3聖人と言われているラーマクリシュナも人の子。奔放でおりこうさんではなかった彼はみんなと違っていたが、父は彼を尊重して育てた。

それは息子を神の転身だと思っていたのもあるが、それだけではなく彼独特の個性も見抜いていたからだそう。

この本を読みながらこんなことを思った。

多くの親はみんなと同じに育てたい。
だからみんなと違うように見えると『育てにくい子』だと思う。

でも、そもそもみんな違うのに『みんなと同じに育てたい』の『同じ』ってなんだろう?

みんな人並みじゃない。ということは、1人1人の質を尊重して育てれば『誰もが聖人』になり得るのではないだろうか。

これだけ時代は変わったのに、未だに母たちは『子どもが人と同じじゃないこと』や『人と同じようになれるだろうか?』と悩んでいる。

そして少しでも違う余所の子を見ると『あの子アレでしょ』とささやく。ラーマクリシュナも、もし現代の子どもだったら『あの子アレでしょ』とささやかれるタイプだろう。

育てにくい子には病名がつき、親はみんなと違うのは病気だったからだとホッとしたり、落胆したりする。

みんなと違うのが病気なら、みんな病気じゃないかと私は思う。

人間はみな人並みじゃない。

人並み以上になりたければ、個性を伸ばす事が大事。

私や息子も自分の好きな事を人並み以上にやったら、大阪なおみちゃんや藤井聡太くんのようになれるのかもしれない。

いやむりか。

いやいやむりじゃないかもしれない。。。

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