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子育て・親育て

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子、親、家族のはなし。
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#エッセイ

「もっと周囲に関心を。人を大切にすれば、自分も大切にされる。」ティッシュには、そんな願いがこもっていることもある。

朝の通学時間帯の電車に乗っていると、小学生の男の子が乗ってきた。 ちょっと離れたところに立っていたけれど、気になって見ていたら、男の子はランドセルを降ろしてゴソゴソ。タオルを取り出して、マスクを外して拭き始めた。 後から乗ってきた女の子も、ランドセルを降ろしてゴソゴソ。 2人の会話に耳を傾けると、小さな声が聞こえてきた。 「鼻血が出ちゃったけど、ティッシュがないの。タオルでもいいか… 」 「私もティッシュがない… 」 急いでティッシュを渡しに行くと、2人から「あり

ギフトは、使ってこそ花開く

まもなく新年度のはじまり。 ここしばらく家に閉じこもっているので、まったく外の様子がわからないのですが、きっと街中には桜が咲き乱れ、温かな春の日差しが降り注いでいるのでしょうね。 「これは神様からのギフト、ゆっくり休んで!」とメッセージをくださった方もいましたが、いつもなら駆け回っているこの時期に、こうして家でゆっくり過ごすことが出来るなんて、確かにご褒美のように思えなくもない。ホント、何年ぶりだろう? なんて一瞬思ったけど、よくよく思い返してみたら、ここ数年はこんなこ

「森を見ず木に触れる」だけのことが、救いになることもある。

早朝、救急車の音で目が覚めた。 身近で感染者や、突然亡くなった人がいるせいか、心がざわつく。 私は健康だし、家族も友達も元気。今日もコーヒーが美味しいし、漫画を読んでバカ笑いもできるのに、それでも毎日心配は尽きない。 そのせいか、最近は気づくと木を触っている。 小さな頃から近所の木に登って遊び、学校に行きたくない時は、家から少し離れたところにあった、お気に入りの街路樹に抱きつきに行っていたからかもしれない。 私が育ったのは、森も林もない街中の住宅街だったから、おかしな

眼差しが武器なら世界は平和なのにね。。

さて、北方からどんどんと飛来物がやってきているようですが、みなさまの身の回り外交は順調でしょうか? 国と国の外交も、人と人の関係も、出来ることなら知的な交流であって欲しいものですが、なかなかそうもいかないようで。。 今月の月報でもお伝えしましたが、これからの一年は、なんといっても『外交』が重要になってきますから、日本も鎖国ムードから目を覚まして、自国の武器と盾の見直しが急務となるでしょうね。 もちろん、これは個人においても同様です。 私たちも、自分の弱点を見直して、武器

「いってらっしゃい」は大切にしよう。

我が家の息子は、毎朝必ず見送りをするようにせがむ。 どんなに忙しい時も、どんなに時間のない日でも、必ず玄関まで来て、顔を見て「いってらっしゃい」をして欲しいと言う。 なんでそんなに出かける時を大切にするのか? ちっとも理解出来なくて、面倒くさいなって思う時もある。 でも、今日やっと思い出した。 命はいつまであるかなんてわからない。 朝の「いってらっしゃい」が最後の言葉になることだってある。忙しくたって、ケンカしてたって、「いってらっしゃい」「いってきます」は、大事にし

未来を生きるために必要なこと

この春、息子が小学校に入学しました。 入学式の壇上で、校長先生と一緒に祝辞を述べるロボットを見ながら『時代が変わる時は教育から変わると聞いたけれど、ホントだな。。』としみじみ。 常識がどんどんと書き換わっていくこれからは、今までの既存の考え方や学習法では対応できなくなっていく。『みんなと同じことができるように』ではなく、『一人一人が自分で考える力』を持ち、『一人一人がオリジナル』となるような生き方が必要になっていくけどついていけるかな? きっと子ども達は大丈夫だろうけど、大

当たり前は時代と共に変わる。 時代が変われば善悪も変わる。

「みんなそうだって言うけど、みんなって何人?誰かって誰?ほんとにそうなの?見たことないものを信じるの??」 そんなことばかり子供時代から言っていたので、母は私のことを『ものごとを真っ直ぐに見ない、社会を横から見る子』と変わり者扱いしていた。 でも、私からすれば誰かが言ったことを確かめもせずに信じている『大人達の方がおろかだ』と思えてならなかった。 子供には『良いこと』『悪いこと』を教えるのに、大人は『良いこと』はやらないし、『悪いこと』はやり放題。嘘はつくし、見て見ぬふり

我が身を守るのは我なり

私たち大人が、『いじめのない世界』の見本も手本も見せることができないのだから、子供達のいじめがなくなるわけがない。 それでも、そんな中をサバイブしていかなければならない息子には、強くしなやかな生き抜く力を身につけて欲しいと願っている。 * このところ世間では、金銭がらみのいじめ問題が騒がれているが、どの記事を読んでも『学校は何をしているんだ!』と責めたてる親達の言葉が並べられていて、これでは教員のなり手がますます減ってしまうと読んでいて心配になった。 詳しい状況も知ら

思いを言葉にすれば意外な「アイデア」が降りてくるものだ。

学校帰りの息子と夕暮れの道を歩いていると、こんなことを聞いてきた。 「お母さんは将来何がしたいの?」唐突な質問に面食らいつつも、「大人になったら何がしたかったの?」という過去形ではなく、「これから何がしたいのか?」と未来を見据えた質問をされたことがちょっとうれしかった。 息子にとってはなんとなく聞いただけだったと思う。でも、適当に答えたり、「考えてみたこともなかった」とか「わからない」とは言いたくなくて、心の中を見渡しながら言葉を選び、一つ一つ生み出すように私の思いを伝え

子の心親知らず

先日、学校帰りの息子と歩いていると、帰り道が一緒になった男の子がこんなことを聞いてきた。 「ねぇ、知ってるでしょ?いっぱい人を刺したあの犯人。ひどいよね。絶対地獄に行くよね?」 『うん、酷い事件だね。もし地獄があるとしたら行ってるだろうね。』 「地獄はあるよ!地獄行きだよ!!」 男の子は語気を強めた。 『そうだね。命を大切にしない人は地獄に行くと思う。だから自分の命も大事にしないといけないんだよ。』 「自分の命?」 『そう。そういえばタバコを吸っている人も地獄に

服よりも、靴よりも、「こども時代の経験」は大事

『おばちゃ〜ん、ワカナちゃん達がまたドロドロになって遊んでるよ〜』 私が子どもの頃、近所の子がこんな風に母に伝えに来てくれたことがあった。 水たまりのドロ水を長靴に汲んで、嬉々として頭から掛け合う私と弟を見た母は、私達を叱るどころか水たまりの外側で羨ましそうに見ていた近所の子にも「ママに謝ってあげるから遊びなさい!」と促したそう。 これは我が母の武勇伝。 当時の我が家はエレベーターのない5階建の4階。2人に水をかけるためにバケツを持って何往復もした母はさぞや

今日も元気でいてくれてありがとう

毎年、義母への母の日ギフトは用意しているのに、我が母にはつい忘れてしまうことがある。 『母を思うなら元気でいること。』 これが1番の親孝行であると母は言うけれど、買い物に行ってカーネーションを見る度にさびしい気持ちになったりしないだろうか。。。 * それにしても『元気でいる』というのはなかなか難しい。我が子の体調やメンタルが不安定になる度に、『元気でいる』ことの価値を改めて感じ入る。 それを思えば『お母さんありがとう』というメッセージカードやプレゼントよりも、『お母

「クソババア」なんて言っちゃいけない。でも、ありがとう。

『おかあさん。僕優しい?』 「優しいよ。何かあったの?」 『今日、1人ぼっちでいた子に声をかけて僕の自由帳に一緒に絵を描いたの。それでね、その子が描いたページを切って、あげたんだよ。 どお、優しい?』 「うん優しい。その子嬉しかっただろうね」 学童帰りの薄暗い帰り道。 息子と歩きながらこんな話をしていると、自分が小さな頃のことを思い出した。 「そういえばお母さんも小学生の頃、お友達の家に塗り絵と色鉛筆を持って遊びに行ったことがあったな。お母さんの塗り絵を1ぺー

人は環境で育つ

そろそろちょっと重めの『あの話題』に触れたいと思う。 もとい、ちょっとじゃなく ものすごく重い『あの虐待』の話。 虐待事件が起きる度に、母としてだけでなく、人としても思うところが沢山ある。ホントに色々と考えさせられる。だから、あえてなるべくニュースを見ないようにして、この話題には触れないようにしていた。 今回のような痛ましい虐待事件が起きると、親が悪い、親の幼少期の家庭が悪い、児相や学校、社会のシステムがよくない。。と『誰が悪いのか』『何が問題なのか』が取りざたされるけ