はじめに。

はちゃめちゃに酔っ払っている。

すごく気分がいい。酔っ払っているし、高円寺から中村橋に自転車で帰ってきたからね。深夜2時に。なんか、カッコよくない?

今、はちゃめちゃに酔っ払っているし、30分前がかなり楽しかったから、自転車にのっている最中に、帰ったらnoteに登録して、記事を書いてしまおうって思い立って、お風呂にも入らずにパソコンを立ち上げた。あれ、うがいしたっけ。。

今、はちゃめちゃに酔っ払っているから、何を書いているか、あんまりわからないし、だからこそ残せることがあると思って書いている。明日酔いが冷めて運悪くnoteを開いてしまってアカウントごと削除するかもしれないし、都合よく酔っ払った時だけに思い出して、酔っ払いの記事を書き続けるかもしれない。と思っているうちに酔いが冷めてきた。これが恐怖だね、ジントニックを作ります。私は壁が激薄アパートに住んでいて、今も隣のギャルが友人を連れ込んで笑い転げている声が聞こえるけれど、負けない。途中で醒めてしまったら嫌だなあ笑 銀杏boyzの二十九、三十(クリープハイプのカバー)という曲の、『明日の朝恥ずかしくなる、いつものやつだとしても』ていう歌詞が、本当に好きです。毎日が、そんなことの繰り返しです。この曲を聴くと、2018年の1月、大学卒業目前に、西村賢太の『夜更けの川に落ち葉は流れて』の刊行記念トークショーにサークルの友人に誘われて八重洲ブックセンターに行った時のことを思い出す。私的には本当に記憶に新しい、関東に記録的な大雪が降った日だった。Oledickfoggyの伊藤さん、カッコ良かったなあ。当時初代ワイヤレスイヤホンを迎えた私は、東京駅からの電車で永遠にこの曲を聴いて、自分は同じアーティストの同じ曲を何度も聴ける狂ったやつなんだ、と思いながら、雪の中に片耳を落とした気がする、すぐに拾ったけど、なんで覚えているんだろう。モラトリアム期の終焉で、感傷的になっていたのは確かだなあ笑

お互いにとって、このフレーズだけでも、共有できる。ということを発見できることが、極私的、音楽を聴くことの最高な喜びだと思います。本当は、このアーティストのルーツから愛して、共感して、私の血肉としたいところだけれど、私にはそれが難しかった。だから、発表した全てのアルバムが、全て好き!というアーティストはすぐに思いつかないのだけれど、この時期に、こういうことを考えていたときに、このアーティストのこの曲をめちゃくちゃ聴いたという思い出が無限にります。だから、あまり思い出したくない思い出のときに聴いた曲を聴くには勇気がいったりする。今聴いたら傷つく、という曲が、人生で一番音楽を聴いた大学を卒業してから3年経った今でも多いのだけれど、一つずつ向き合っていければ、と思って、自分の思いの供養の為にも、綴っていきたいな、と思います。酔っ払っているので、ちょっと過去と向き合っても、忘れられると信じて。

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