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【短編小説】和女食堂・いしり味の唐揚げ

お誕生日なのに誰にもおめでとうを言われなかった。

そもそも友だちが少ないし、SNSもやってない。一人暮らしを始めてから、家族からのお祝いもなくなった。彼氏もいないし、親友なんて呼べる人もいない。

人のいる場所が苦手なわたしは、2年半前から始まった在宅勤務がとても快適で助かっている。

今はオフィスに行っても行かなくても自由ということになっているけれど、わたしは一度も行ってない。可能な限り、ずっと行きたくない。

これだけ人との接触を避けていると、自ずと予定は何もなくなるし、お金もあまり減らない。これはきっと、わたしが望んだ通りの生活なのだ。

確かにストレスは減った。なのに何か物足りない。その何かが何なのかはわからない。親友や彼氏がほしいわけでもない。いたこともあったけれど、今はいらない。だってみんな、勝手に去っていくんだもの。

正確に言うと、ピザ屋と化粧品屋からはお誕生日メールが届いた。そこには確かにおめでとうと書いてあった。ピザ屋と化粧品屋は毎日一体何万通のお誕生日メールを送っているんだろうね。それもきっと自動化されているに違いない。

わたしって、いるのかいないのかわからない。毎日同じような仕事をして、同じようなものを作って食べて、お風呂に入ってNetflixかYouTubeを見て寝る。死にたいわけじゃないけど、どうして生きてるのかわからない。

「人間にとっての最大の喜びは人に感謝されること」だなんて、昨日たまたま見た動画で心理学系のYouTuberが言ってた。

わたしが最後に人に感謝されたのはいつなんだろう。5年ほど前、バスで妊婦さんに席を譲ったときかな。あれ以来、人に親切にするチャンスにさえ恵まれない。

誕生日ぐらい外食したいけれど、デニーズで幸せファミリーを見るのもいやだし、ラーメン屋じゃ寂しい。半年くらい前に一度行った、あのマンションの中の食堂に行ってみようか。あそこは静かでいい。

【お品書き】 
いしり味の唐揚げ 350円
鶏もも肉いしり焼き 300円
熱いとうもろこし 130円
バターカレーウィンナースパ 200円
貧乏人のパスタ 150円
マッケンチーズ 200円
グリーンリーフサラダ 80円
いしり醤油うどん 150円
カレーライス 200円
カニカマねぎたまごそうめん炒め 200円
もり蕎麦 200円
おにぎり 10円
バタール 30円
シチリアのマーマレード 200円
味噌汁(玉ねぎ、あおさ)60円
ごはん 10円
麦茶 20円
アイスオレンジティー 40円
青空ソーダパフェ 230円

「あら、お久しぶり。元気だった?」

この人はわたしのことを覚えていたんだ。前回来たとき、特に何も話さなかったのに。

「はい、元気です」

笑顔も作らずにサッと答える。お店の人にはそれで十分でしょ。

「最近、いしりにハマってるの。石川県の魚醤だよ。イカワタを長期熟成させてるんだって。ナンプラー嫌いじゃなかったら好きなお味だと思う。オススメちゃん」

馴れ馴れしい話し方をする人なんだな。不快というほどじゃないけど、ちょっと苦手。

「では唐揚げと、ライスとあおさの味噌汁と、とうもろこしとアイスオレンジティーをください」

少し頼みすぎたかな。普段はこんなに食べない。お誕生日だから特別と思ってしまった。自分へのプレゼント? いやいや、プレゼントならもう少しマシなものがあるでしょうよ。

キッチンでは換気扇が大きな音を立てている。鶏肉を揚げる音がする。小さな音が、パチパチと大きな音に変わったら、鶏肉を取り出して火を止める音がした。

「お待たせしました〜。美味しいよ」

自分で作ったものを美味しいよと言ってしまうところがおばさんぽい。わたしはおばさんにはなりたくないな。おばさんにもおばあさんにもならず、歳をとったことさえ誰にも気づかれずに、ただただ死んでいきたい。

などと考えながら、いただきますと小さな声で言って手を合わせる。これは親に躾けられた習慣でやめられない。

唐揚げはなかなか美味しい。魚醤の味は意外なほど好みだった。どことなくエキゾチックで、なんとなく懐かしい味。マイルドなしょっぱさが、ごはんによく合う。

とうもろこしはとても甘く、メニューに書いてある通りに熱かった。こんなに熱いとうもろこしを食べるのは初めてかもしれない。

妙に落ち着く組み合わせで、あっという間に全部食べてしまった。

「ごちそうさまでした」

再び手を合わせる。

「ありがとうございまーす! 590円です」

軽く会釈しながらお金を手渡す。

「本当にありがとうございます。実は本日、唯一のお客様なんですよ。暑すぎたんですかね? でもこんなこと、開店以来初めてなんです。誰もいらっしゃらないかなと思って少し落ち込んでて。そしたら来てくださって、嬉しかったあ」

「そうなんですか。暑かったですもんね」

面倒くさいけど答えてみた。

「それに、丁寧に食べてくださって感謝至極です。料理する人間にとって一番嬉しいことです。すいません、ずっと見てたわけじゃないんですけどね。所作がお美しくて目が行ってしまって」

そういえばときどき人に、食べ方がきれいだと言われることはある。食事中はスマホも見ない。

「お客様のような方がいらしたら、飲食店の人たち誰でも嬉しいと思いますよ。きちんと目の前にある食べ物に向き合って丁寧に召し上がる人、案外少ないんです」

こんなに感謝されると思わなかった。なんだか想定外に嬉しい。「そんなことないですよっ」なんて言いながら、うっかり照れ笑いしてしまった。

その笑顔はお店のドアを出てからも続き、帰宅してシャワーを浴びているときさえわたしの口元は笑っていた。

こんなことで人に感謝されるなんて。要するに、親切運動みたいな行いをしなくても、人知れず誰かに感謝されることはあり得ると捉えて良いのだろうか。

そういえばわたしだって、お目当ての本や雑誌を発売日に買えたら「ああ良かった買えたわ感謝」と思うし、バスを降りるとき順番を軽く譲ってもらったり、エレベーターでボタンを押してもらったら赤の他人にわずかながら感謝するもの。

だとしたら、感謝というものは案外ハードルが低いものなのかもしれない。1cmぐらいのハードルなら、一日に何度か飛び越していそう。

今日は美味しい唐揚げに感謝だね。お誕生日おめでとう自分。自分が自分に親切にするのも、感謝のカウントに入れてもいいのかしら。

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