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【短編小説】和女食堂・チャーシュー日本蕎麦

僕は食べることに興味がない。何を食べるか考えるのも面倒くさいし、食事する場所に行って時間をとって食べること自体に価値を見出せない。

そんな時間があったら、ゲームをしたりNetflixを見たり英語の勉強をしたりしたい。実際、コンビニやミニスーパーで適当に弁当や冷凍食品を買ってきて食べることが多い。

うちの冷蔵庫はビジネスホテルの冷蔵庫のように小さい。冷蔵庫が家にあるということに、なぜかうんざりする。だから買い置きも最小限。ときどき何も食べるものがなくなる。そんなときは寝てしまえばいい。

朝は毎日同じハムサンドをコンビニで買い、誰よりも早くオフィスに行ってひっそりと食べる。ランチは気が向けば会社の近くの弁当屋で一番安い海苔弁を買う。食う気がしない日は無理に食べない。食べない方が頭が冴えるときもある。

社長含めたった10人の小さな商社で働いていると、メンバーとの心理的距離感が近過ぎて苦しく感じることが多い。転職か留学か。ぼんやり考えることが癖のようになっている。

1.5流の大学の英文科を卒業したけれど、英語は読み書きが多少できるだけでスピーキングはほとんどできない。リスニングはもっとできない。それでも決まったルールに従えば、輸入関連の業務に支障はない。

第一、うちの会社で英語がまともにしゃべれるのは社長だけだ。他のメンバーは受験英語の延長線上でなんとかやりくりしているタイプ。僕を含めて。

面白くもないが、他に目標があるわけでもない。なんとなくオンライン英会話を続けていて、30歳になる前に次のステップに行きたいと思っている程度。

最悪ステップアップじゃなくても、環境を変えたい。何でもいいから突破口を見つけたい。

大学の同期の中には、うまいこと大手に入社して研修だ海外出張だカンファレンスだと忙しそうにしてるやつらもいる。千人規模の国際カンファレンスの準備に2年以上もかけてるなんて話を聞いたことがある。もう僕には想像もつかない世界だ。

例えば今の会社を辞めて、1年留学して英語を身につけて転職なんて、できるのか、できないのか、いやできなさそう。新卒で入れなかった大手に、30過ぎて入れるはずもないか。嗚呼。

じゃあなんで英語の勉強なんてしてるんだ。考えるとわからなくなる。いや何もしてないよりマシだ。何もしていないと焦る。

ここのところ土日はずっと家にいて、英会話フレーズを聞き流している。半分は寝ているようなもの。真面目に何度も聞いたところで、全然覚えられない。知ってるフレーズしか耳に残らない。

オレはどこに向かってんだ。

買っておいた食料は土曜の夜に尽きた。日曜ももう暮れてきた。さすがに何か食べないとまずい。

どこか誰にも会わずに済んで、簡単なものを安く食べられる店がないだろうか。

思い出した。池上通りのマンションの一室に、一人で行ってもほぼ一組で満員の食堂があるって食べログで見た。日曜日もやってるんだろうか。

【お品書き】 
チャーシュー日本蕎麦 400円
冷やしたぬき蕎麦 300円
手羽先いしり焼き 350円
煎り豆腐カレー味焼きそうめん 250円
ちくわチーズちくわキュウリ 200円
冷奴キムチ 200円
ペペロンチーノ 150円
グリーンリーフサラダ 80円
鰹節バター醤油焼きうどん 200円
カレーライス 200円
もり蕎麦 200円
おにぎり 10円
舞茸おにぎり 100円
ゆでたまご 50円
たまごサンド 100円
味噌汁(玉ねぎ、あおさ)60円
黒舞茸の味噌汁 120円
ごはん 10円
麦茶 20円
アイスオレンジティー 40円
京都わらび餅 300円

「いらっしゃいませーい。おつかれさんです」

「どうも」

初めて来たのにおつかれさんとは? そんなに疲れた顔をしてるだろうか。まあ覇気がないことは確かだが。

「チャーシュー日本蕎麦」

「へい、お待ちあれ!」

面倒くさいから一番上にあったやつにした。飯ものよりも麺類のほうが食いやすいし。

「お待たせい! チャーシュー日本蕎麦でぃす」

なんだかすぐに来た。早いな。

本当に日本蕎麦の上にチャーシューが乗ってるだけだ。あとはわずかな長ネギだけ。一味と七味の二つの小瓶を置きながら、「両方かけるといいよ」と店主が言った。まあここは言われた通りにしておこう。

この蕎麦のヨレヨレした形状はどんな由来なんだ。こんな乾麺、売ってるのか。

ひと口啜ってみると、つゆがよく絡んで旨い蕎麦だった。旨いなんて感情は久しぶりかもしれない。そりゃそうだ。いつも同じものしか食ってないから。
 
「そのお蕎麦変わってるでしょ。はくばくの元祖乱れづくり木曽路御岳そばっていうの。冷やしでも美味しいけど、温麺だとより一層美味しいわね」

「ん、ですね」

「ねーねーニューヨークではさあ、かけ蕎麦が一杯2千円なんですってさ。大戸屋もあっちでは一食が4千円ぐらいのきちんとした和食屋さんなんだって。その上チップが20%だよ。すごいね」

「ニューヨーク?」

「そう。友だちが住んでてね、この前久しぶりに会ってお話ししたの。面白かった」

ニューヨークか。銀行に就職したやつが出張で行ったって、自慢なのか愚痴なのかわからないような口調で話してたことがあったな。

僕は短期留学という名の旅行でロサンゼルスに2週間行ったことがあるだけだ。結局そこで知り合った他の大学の日本人と一瞬だけ友だちになったことしか記憶にない。

「あれだね。ニューヨークって、英語しゃべれるしゃべれない以前に胆力がないと住めない場所だね。あらゆる人種が集まって夢を叶えようとするエネルギーがすごい。そのエネルギーを取り込んで突き進める人には向いてるんだろうね〜」

夢か。僕の夢はなんだろう。夢を見て突き進む人たちがそばにいれば、僕にも夢ができるんだろうか。

そんな他力本願な考えじゃ何も生まれないような気もする。そうは言っても、人が夢を見つけたり叶えたりするときには、必ず誰かそこに他者が存在するはずだろう。

そうか。僕に足りないのはエネルギーの強い人たちとの出会い? ニューヨークに行かなくても、日本にでもいるはず。

じゃあまず、土日にいつも家にいるのをやめてみるべきか。どこだっていい。エネルギッシュな人たちに会いたい。

ならば前から気になっていたスパルタ式の英会話スクールに入るとするか。そこに行くレベルに達しているのか不安はあるが、ライティングとリーディングはそれなりだからきっと不可能ではない。

宿題は多いし休むと容赦なく電話がかかってくるという。寧ろそれぐらいがいい。

「ありがとうございました! ごちそうさまです!」

「えっ、いやいや、ありがとうございますはわたしが言う台詞ですよ〜」

なんだか頭の中が急に熱くなって変な言葉を発してしまった。恥ずかしい。いやしかし急に視力が上がったかのように視界が明るい。なんだこりゃ。七味唐辛子が内なる何かを覚醒させたのか。

よし、今夜のうちにスクールに申し込んでしまえ。二度と今と同じままの自分に立ち戻らないように。

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