見出し画像

【短編小説】和女食堂・荏原病院

今年の夏も彼氏はできなかった。かと言って、去年の夏にもできなかった。

そうだわ、もう恋人と呼べる人がいなくなって6年は経つ。今月末には40歳になるというのに。

一人暮らし歴、17年かあ。本当言うと何も不自由していない。自分一人の稼ぎで、自分を養うぐらいは難しくない。貯金もまあまあできた。親孝行もしている。趣味の演劇も好きなだけ見に行ける。

6年前、結婚するしないの話し合いがこじれて彼氏にフラれた。女友達にその話をすると、「それってあなたがフッたんじゃないの?」と言われる。

仕事を正社員で続けたい。出世もしたい。子供を産んだらできるだけ早く保育園に入れて仕事復帰したい。

こんな当たり前の条件を、なぜOKしてくれる彼氏がいなかったんだろう。世の中にはそんな風に生きている既婚女性がいくらでもいるのに。わたしの直属の上司だってそうだ。

彼女は25歳で結婚して、同い年の旦那さんとの間に男の子と女の子がいる。外資系保険会社で働く旦那さんは何事にも理解があり、稼ぎも良いらしい。

わたしもそんな彼氏と若いうちに結婚できれば良かったのに。

20代の頃に付き合ってた美容師の彼は、とても優しくてオシャレで面白い人だった。でも「どうしても結婚願望が湧かない」と言われて、5年付き合っても何も進展しなかった。

そんなタイミングで、飲み屋で出会った不動産営業の年下くんに心を持っていかれ、理由を言わずに美容師彼氏と別れた。

年下くんとは学生同士みたいに純粋な恋をした。なのに、たった半年で他の人に取られてしまった。わたしよりもずっと年上でお金持ちの女性に。

ふと美容師の彼に「元気?」とメールを送ってみた。「うん、元気だよ! キミは元気? ぼくはキミへの気持ちにやっと踏ん切りがついて、今度結婚することになりました」と返事がきた。

意味不明すぎる。結婚願望、ないんじゃなかったの?

それでもわたしは、まだモテる自信があった。事実、3ヶ月もせずに次の彼氏ができた。

その彼が、6年前に別れた人。資産家の息子で道楽でクルマ屋をやってる。店番は番頭さんに任せて、本人は大体毎日どこかで遊んでる。そんな彼の余裕と自由な感覚が好きだった。

結婚したら、わたしにも自由な生き方をしてほしいって何度か言われた。カネはあるんだしって。

でもね、わたしはお金だけあっても仕事がないとつまらない。映像系クリエイターの仕事は天職だと思う。どんなに忙しくても、何もできないより幸せ。

そんなこんなで、40歳になりましたとさ。

ああもう子どもなんて間に合わないのかもしれない。子ども産んでも産まなくてもいいよ、お仕事がんばって。たったそれだけを言ってくれる人がほしいのに。どうしてこうなんだろう。

このテーマに関して考えると、やさぐれた気持ちになるばかり。もう明日は月曜日。この土日、家にいてNetflixばかり見ていた。少しは外出しないとリフレッシュできない。

10分ぐらい歩くけど、落ち着いて地味な手料理を食べられるあそこへ行こうかな。

【お品書き】 
荏原病院 450円
冷やしたぬき蕎麦 300円
冷やしたぬきそうめん 300円
カニカマねぎたまごそうめん炒め 200円
とろけるちくわチーズ 200円
豚キムチチーズ 400円
貧乏人のパスタ 150円
グリーンリーフサラダ 80円
ツナマヨネーズ海苔焼きうどん 200円
カレーライス 200円
もり蕎麦 200円
おにぎり 10円
ゆでたまご 50円
たまごサンド 100円
味噌汁(玉ねぎ、あおさ)60円
黒舞茸の味噌汁 120円
ごはん 10円
麦茶 20円
アイスオレンジティー 40円
薄焼き煎餅クリームチーズサンド 100円

「いらっしゃい〜。涼しくなってきたね」

「和女さん、こんばんは。なんか美味しいもの食べさせて!」

「ほいよ! 荏原病院なんてどうよ。ヘルシーで美味しいよ」

荏原病院て。 あの上池台のほうにある病院のこと? 病院食っぽい料理なのかな。ここ数日ろくなもの食べてないから、それぐらい健康に振り切った料理がいいのかもしれない。敢えて「それは何ですか?」と聞かずに注文しよう。

「じゃあライスとお味噌汁もあったほうがいいよね。舞茸のお味噌汁、美味しいよ」

「はーい、お願いします」

和女さんは冷蔵庫からいくつかの野菜と肉を出して切り始めた。最後に生姜をすりおろす音と匂い。

フライパンで次々に勢いよく具材を炒める音がして、すぐに持ってきてくれた。胡麻油の匂いがこうばしい。

豚肉とにんじんとお豆腐とキヌサヤかな。不思議な組み合わせ。ひとくち食べると、生姜がキュッと香ってとても良いお味。白いごはんが食べたくなる。

舞茸のお味噌汁って初めて食べたけど美味しい。どうしてあまり見かけないのかな。こんなに美味しいなら、今度作ってみたい。

「荏原病院、美味しいでしょ。ロケットニュースの羽鳥さんのレシピだよ。作りたくなったら検索してみてね」

「ロケットニュース、ですか?」

「うん、インターネットのね、面白いサイト。羽鳥さんていう人が編集長なの。その人のファンでわたし影響受けまくってるんだ〜」
 
なんだろう。小ネタ系のウェブマガジンかな? そういうノリはちょっとわたしっぽくない。料理の参考にするなら、クラシルで一流シェフのレシピを見たい。まあ見るだけで作らないんだけどね。

「和女さんみたいにお料理が上手だとモテますか?」

「ギャハハ! 料理が多少できるからってモテたことはないかな? そもそも料理って、付き合ってからじゃないと作らなくない?」

まあそれはそうか。

「なんかねえ、わたしは男の人にも女の人にもあんまり嫌われないの。たぶん、誰にも媚びないからかな。自分も相手に無理に合わせないし、相手にも合わせなくてはいけないのではないかと思わせる空気を作らないの。人との距離って、緩い隙間があると楽でしょ。あえて無言の時間を作ったりすることあるよ」

「へえ、達人ですね」

「いやいや、なんもがんばらんだけ」

なんもがんばらんだけかー。わたしはがんばってる自分が好きなんだよね。でも、和女さんだって食堂の仕事しながら英語やら音楽やら色んな勉強してるって前に聞いたことがある。でもそのときも、「楽しいからやってるだけでがんばってない」って言ってたな。

「がんばってばかりいると、いつの間にか巨大な見返りを求めてしまうんだよね。がんばってるんじゃなくて楽しんでるんだと思うと長続きする気がする。勉強も人間関係も。自分にも他人にも、見返りを求めなければ求めないほど楽になるんだよねえ」

えー、そうか。今日から「がんばろう」を禁句にしようかな。考えてみれば、がんばらなくてもわたしはもう色んなことができるし、大丈夫なんじゃないかしら。

そもそも仕事だって、好きで楽しくてやってるのが本音。恋愛も同じように楽しくて長く続かなきゃ、その先の長い人生までも一緒に楽しく過ごせないのかもね。

そうだなあ、自分の心の中に緩みを作りたいな。

「ミキちゃんの趣味は何?」

「えーと、演劇観ることですかね」

「そうなんだ。じゃあ市民劇団に入ってみたら? 賞狙いでもなく、プロになる目的でもないならきっと楽しいよ。友だちもできるし、その先に恋愛もあるかも?」

女優になるってこと? いやいや、プロじゃないから違うのか。考えてみたこともなかった。割と嫌いじゃないかも。1年ぐらいなら飽きずにできるかな。

「演劇は感情をたくさん使うから、心が動いて恋愛が生まれやすいみたいよ。かっこいい俳優彼氏できるといいね!」

俳優彼氏! いいんじゃない? ああ結局、見た目が好きな人しか好きになれないんだよね、わたし。見た目は気にしないなんて綺麗事は言えない。かっこいい人が好き。

なんて素直な感情なんだろう。

自分のどこが悪いとか、相手の何が間違ってるとか、そんなこと考えるより、好きだという感情や、楽しいって気持ちで心を満たしたい。演劇を観ているときは、そんな気持ちでいっぱいになれる。だから演劇がずっと好きなんだ。

なんか色んなことがつながって見えた。わたしは暇があると過去に起きた不幸のほうばかり見ていたけれど、これから未来に幸せになる方向だけを見て生きていこう。

要するにこれ楽天的になるってことだよね。単純だなー。それぐらい、わかりやすいくらいがちょうどいい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?