大人の童話 黄昏ロボット 星 新一 風 文体なりきり ショート&ショート 第2弾
【黄昏ロボット】
久保研二 著
相談室にやって来たのは、二十歳すぎの若い女性だった。応対したのは珍しくエス博士である。
普段はエス博士が直々に客の話しを聞くことはないのだが、たまたまこの時間、いつもは相談室を担当しているワイ助手が隣町まで出掛けていて留守だったのだ。 エス博士が無理に依頼した用事のためだった。
そんな時にわざわざ客が来なくても……と、エス博士は最初思ったが、そもそもワイ助手を外に行かせたのは自分なのだし、まして普段ワイ助手がこなしている仕事を、上司である自分が出来ない理由もないと考え直し、さらにちょっとした現場への興味もわいて引き受けたのだった。
実際のところは、客が若い女性だったことが一番の理由だったのだが……。
その若い女性は、身長が90センチほどの、ところどころサビが浮いている古びた小型ロボットを連れていた。
「この子のことなのですけれど……」
エス博士は、ちらっとロボットを見て、
「○□△♢年式、ゼット社製のKGタイプですね」と言った。
女性はうれしそうに、
「そうです。でもこの子はKGタイプでも、最も初期型の、KG-1Dなのですよ」。
エス博士は驚いた。
「なんだって? KG-1Dといったら、すぐに重大な不具合が見つかり、リコール対策のために全数もれなく回収され、その中身は公表されないままとなった幻の機種のはずだが……」
「そうなのです。さすが専門家というか、この道の最高権威の科学者さまでおられますわ」
エス博士は、そう言われてもちろん悪い気はしなかった。女性はさらに続けた。
「私が調べた限りでは、KG-1Dに不具合が見つかった時点では40台がすでに販売されていて、博士がおっしゃるとおり、ゼット社はすぐにその全数を回収して、別のロボットと無償で交換したのですが……実はあと1台、工場から出荷直前のトラックの荷台に残っていたロボットが存在したのです」
「あなた……それはある意味とても貴重なことですよ。私のようなレトロタイプのロボット研究者にとっては、まさにお宝発見以外のナニモノでもありません」
「はい、私もそう思ったのです。けれどもそのことを誰に言っても、この子の値打ちを理解してくれる人に、ただの一人も出会えなかったのです。だいいちゼット社は、10年ほど前に倒産していますから……そんな時にここの施設の噂を偶然耳にしたわけです」
「それは良かった。実に幸運です。しかも普段なら私ではなく、助手のワイ君が応対するところだったのだが……ワイ君ならきっと、KG-1Dの値打ちというか、存在そのものを知らないはずです。だからおそらくあなたの話にも本気で耳を貸さず、あなたをがっかりさせたにちがいありませんよ」
「ということで、この子をここで引き取っていただきたいのです」
「もちろんですとも。こんな貴重なサンプルは、ぜひともウチの施設でお預かりしたい」
「ところで費用のことなのですが……」
「いや、それに関しては心配ご無用です。そりゃもちろんウチは、先端技術の研究所も兼ねたロボット有料解体廃棄センターですから、通常ならお客さまが不要になったロボットを引き取って、個人データを徹底的に手間とお金をかけて消去し、さらに様々なパーツにより分けてリサイクルするのですが、今回のような貴重なモデルの場合は、逆にこちらからお金をお支払いしてでも買い受けたいほどですよ」
「そうですか、それを聞いて安心しました。それならこの子は、仮に今後ロボットとしてまともに使えなくなっても、解体されて廃棄処分になるようなことはないわけですね?」
「もちろんですとも。おそらく一度は分解してから、中をいろいろ調査したあとオーバーホールも施して、さすべきところに油もさして、また元どおりに組み立てて、それでも万が一動かなくなってしまったら、そのあとは歴史博物館にでも展示することになると思います」
「わざわざここまで来た甲斐がありましたわ、でもひとつだけ心配ごとがあるのです」
「それは何でしょう?」
エス博士は、チョコンと首をかしげてから身を乗り出した。
「私は最近になるまで、この子がそんな特殊なモデルだとは知らないまま、20年以上も一緒に暮らしてきたのですが、今まで一度もこの子の、いったい何が欠陥だったのか、それがわからないままなのです」
「なるほど……ちなみにあなたはいったいどこでこのロボットを手に入れたのですか?」
「実は……私の父が……その……昔、ゼット社の社員でして……トラックから降ろすのを忘れてしまい、そのことに気付いた時には本社のリストからもこの子の存在が漏れていて……それでまあ何というか、もみ消されたような形で……最初からなかったことにしようということになり、結局は父が自宅に持ち帰ることになって、そのまま私にあてがわれたのです」
「なるほど、そういう事情でしたか」
エス博士はうなずいて、後ろの書棚から、相当古くて分厚い専門書を抜き出し、手際よくページをめくり始めた。そしてとある箇所で目をこらし、
「あったあった。ありましたよ。KG-1Dの記録です」
そこには、さっき女性が言ったとおり、わずか40台が販売された時点で重大な欠陥が発見され、即座に全数回収され、分解処分されたと記されてあった。
なるほど、目の前の女性の傍に居るのは、記録から抹消された幻の41台目に違いなかった。
「はて? その先を読んでも……重大な欠陥としか書いていないなあ……その欠陥の具体的な内容の記述が見当たりません」
女性は「やっぱりそうでしたか?」と、残念そうにつぶやいた。
エス博士は、
「逆にこちらがあなたにお尋ねしたいのですよ。20年もこのロボットを使ってきて、何か少しでも気付いたこととか、ちょっとした異変とか、そんなふうなものがなかったのですか?」
「それが……さっき申し上げたように、私も別に望んだわけではないのに、父から突然与えられので、最初からこの子に何かをしてもらおうと期待したわけでもなく、実際にこの子がいったい何が得意なのかも分からなかったので、とりあえず寝室に置きっ放しだったのです」
「えっ? 20年以上もですか?」
「そうです。私が4歳の頃からずっと……ですから私にとっては、この子は、部屋のオブジェか、いいとこぬいぐるみのようなもので、知らないうちに部屋の風景に溶け込んでいたのです」
「違和感はありませんでしたか?」
「それが不思議と感じなかったのですよ」
「では、今回どうして我々に手渡そうと思ったのですか?」
「実は私、今度結婚することになったのですが……」
「それはおめでとうございます」
「ありがとうございます。それで、引っ越しのことをあれこれ考えていて、ハッとこの子の存在に気づいたのです。それまではまるで気にならなかったのに、一度気付いてしまうと妙に意識し始めて……かといって長年そばにあったものを、別に壊れたわけでもないのに廃棄するのもしのびなくて、スイッチを押したら電源がはいりましたし……それに……亡くなった父の形見でもありますから」
この時、それまでずっと静止したままだったロボットの首が約30度、始めてコクンと下に動いた。
「わかりました。とにかくウチで預かって調査をしながら、またその経過を、追ってあなたにお知らせすることにしましょう」
エス博士がそう言うと、女性は安心して帰っていった。
夕方になってからワイ助手が戻って来た。
エス博士は昼間の話を手短かにワイ助手に説明し、一定期間ロボットの電源を入れたままにして、彼にその様子を観察させることにした。
一週間が過ぎてわかったことは、このロボットの能力がとてもお粗末だと言うことだった。
まずは駆動の音が大きく、命令される音声に対する反応も極めて鈍かった。
また、たとえば当時のロボットの最も重要な仕事であったはずの掃除能力は、見事なまでないに等しく、結局は後で掃除機を使って人力でやり直さねばならなかった。
ワイ助手は、どうやらこのロボットの能力は、あらゆる面で人並み……いやロボット並以下であり、おそらく低コスト・低価格を意識したメーカーの、商品企画そのものが最大の《欠陥》に違いないと考えた。
そしてワイ助手は、自分が見極めた要点だけを的確に箇条書きにした資料を作成し、それを持ってエス博士に報告した。
エス博士は腕組みをして向かい合うワイ助手の話を熱心に聞いていたが、ふと報告書から視線を外し、窓際に置かれたKG-1Dを見た。
ロボットは、エス博士の冷めた視線にも気付かず、ずっと窓から外の景色を眺めていた。 巻き上げられたブラインドの隙間から、斜陽が何本かの直線を描いていた。 黄昏時の色づいた街並みが、ステンレス製のロボットの胸板にぼんやりと写りこんでいた。
ワイ助手が、エス博士の横顔に向かって口を開いた。
「解体して、部品取りをしますか?」
エス博士は、ゆっくりと首を横に振り、
「いいや、それは出来んよ」
「部品をとっても、再利用できないからですか?」
エス博士はまたもや首を振った。
「じゃあ、持ち主との約束があるからですか?」
「それもあるが、それだけじゃない……」
「それなら、どうして?」
「あのKG-1Dを、しげしげとこうして眺めていると、妙に懐かしい、何だか、言葉で表せない、不思議なものを感じるのだよ……そう、何かを……でもそれがいったい何であるかが、まだ私にはわからない」
その時、ようやくエス博士の視線に気づいたロボットが、突然窓から目を離し、慌てて正面を向き直し、何やら両手を小刻みに動かし始めた。
目を開いたままワイ助手がエス博士に質問した。
「彼はいったい何をしているのでしょうか?」
エス博士は、ゆっくりと、ささやくようにつぶやいた。
「仕事をしている真似だよ」
「……まさか……そんなことにいったい、どんな意味があるのですか……?」
「そのまさかだよ」
「博士、やっぱり解体して廃棄しましょう」
「いや、それは出来ない。今ようやく私は気付いたよ。あのロボットには、我々人類が遠い昔に忘れてしまった、無能な者が生き残るための重要なプログラムが組み込まれているに違いない」
ワイ助手はさっぱり理解ができないという顔をしながら言った。
「博士、私は実はゼット社を倒産に追い込んだのは、このロボットじゃないかとさえ疑っているのですよ」
「まんざらそれは外れているとは言えないぞ」
「それじゃなおさら、このロボットに用はないじゃありませんか」
「私もあと1年で定年退職なのじゃよ」
「なるほど……それで博士は、あのロボットを見て、ちょっとセンチメンタルになっているのですね」
「いや、そういうわけでもないのだよ。私は決して彼のように、窓から見える景色になんて興味がなかった。それよりも、目の前に山積みされた研究課題をこなすことで、常に頭が一杯だったのだから……ただ……」
「ただ……何ですか?」
「私が何十年も気付かなかった景色を、あのロボットは知っているように思うのだよ」
「それって、ただの能力もやる気もない、単なる使い物にならない駄目社員のことじゃないですか? たしか"窓際族"という言葉を、古文の授業で習ったことがあります」
「ほら、見てごらん。まだ仕事をしている真似をしている。こうしてワシらが見ているからだよ。ちょっとロボットを、わざと見ないようにしてみようじゃないか」
「博士、私には正直、どうしても理解が出来ません。いったいあのロボットのどこにどんな価値があるのか?」
「文化的遺産だよ。今の年齢の君には決して理解できないだろうね。もちろん、理解する必要もない」
そう言っているうちに、ロボットはまた窓の外をぼんやり眺め始めたのだった。 おしまい
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