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教員とサッカーの監督・審判って重なる部分が多いんじゃないって話【サッカー✖️教育】

 とある町で小学校教諭をしています。わいぬです。
 Jリーグの試合を観戦したり、日本代表戦を観ることが好きです。
今回は小学校担任とサッカーの監督や審判で重なる部分が多いと日々考えていました。そのことについて記事にしてみました。


監督と重なる部分

指示が出せる時間

 サッカーの監督は指示を出すことができる時間は限られています。
 試合前のミーティングやハーフタイム。
 試合時間中にも少し指示を出すことができますが、試合前のミーティングやハーフタイム程の指示は出せません。
 つまり、当日の戦術や指示を限られた時間にわかりやすく伝えることが求められます。また、日々の練習からの戦術の浸透が試合に影響します。

 これを学級担任に当てはめて考えてみると”指示の的確さ”の部分が重なります。
 短くわかりやすい指示が良いのはもちろんですが、子どもたちがどのような学習なのか、活動なのかをイメージしやすいような指示をしないといけません。
 子どもたちの中で〇〇という活動はどのようなものなのか。
 日々授業や生活を通して活動のイメージを持つようにしていかなければいけないのです。
 さらに、子どもたちと教員の中でクラスの共通言語を持つべきなのです。
 例えば、「成長ノートを書くよ。」というと子どもたちは成長ノートにナンバーと今日の日付、テーマを書くための『 』(カギカッコ)を書きます。
 繰り返していくと自分から書いて待ってくれるようになります。
 話し合いの方も同様です。相手を見て「おねがいします。」「ありがとうございました。」と感謝を伝えること。話すこと以上にきくことが大切ということ。
どのように、どうして、どんなふうにというような質問をして深めたり、広げていくことのように学級として日々積み重ねてきたもの共通言語としているものがきっとあるはずです。
 元サッカー日本代表監督で今はFC今治のオーナーである岡田武史氏はインタビューの中で『チームとして戦術の共通言語を決める』ということを話されていました。
 話し方だけではなく、書き方や学び方を積み重ねていくことで成果が上がってくのです。
 限られた時間の中で担任の指示が短くて的確であるほど子どもたちが活動のイメージを持って取り組めるようになるのです。

選手の活かし方

 監督によって戦術は多種多様です。カウンターで攻める、パスを繋ぐスタイルなど様々な戦術があります。
 監督ももちろんそれぞれの得意な戦術があります。
 監督の戦術によって活躍する選手と活躍できない選手が多いと言うのはサッカーではよくみられます。

 これを学級担任に当てはめて考えてみると”指導技術を磨くことと増やすこと”につながります。
 授業や学級経営を行うにあたり指導法を戦術と言えます。
 授業を行うが、子どもたちにはしっくりきていないということがあります。
 この時に自分の得意を磨き続けることと他の指導法を学ぶことが必要になってきます。
 一つ何かを決めて突き詰めていくことももちろん必要なことです。
 しかし、本当に子どもたちと指導法が合わないと言う場合もあります。
 そんな時には、「じゃあ次の単元では学習の時間を使ってみよう。」「次は〇〇君への声かけを変えてみよう。」のように たくさんの指導法を知っている方が手札が多くなります。
 自分の得意な指導法が合う場合と合わない場合。
 合わない場合は知っている指導方法から選べるようにする。

 子どもたちも合う先生と合わない先生があったりします。
 教育の場では合わないからといってサッカーチームのように放出することはできません。
 そのためにも学級担任としてはその子どもたちとの関係を丁寧にみとり他の指導法で関係を作っていく必要性があります。

モチベーター

 サッカーの監督はモチベーターと言われます。
 ユルゲン・クロップ、ミケル・アルテタなど名将は言葉で選手の心に火をつけると言われています。
 感情的な部分と冷静な部分を持ち合わせながら放つ監督の言葉。
 試合前やハーフタイムでの監督の一言の影響力は多大なものがあります。

 これを学級担任に当てはめて考えてみると”心に火をつける励ましや語り”と繋がります。
 学級において子どもたちを鼓舞しないといけない場面があります。
 鼓舞するのは大きな声や喝を入れると言うことではありません。
 子どもたちのやる気や集中力を引き出すための言葉かけです。
 ペップトークというものも注目されています。

 また、子どもたちに語りを行うこともあります。
 渡辺道治先生の『心を育てる語り』を読むと語り方の勉強になります。


 京セラやKDDIを率いた経営のプロ稲盛和夫さんも人の心に火をつける「可燃性の人」の話はよくされていました。

物には可燃性、不燃性、自燃性のものがあるように、人間のタイプにも火を近づけると燃え上がる可燃性の人、火を近づけても燃えない不燃性の人、自分でカッカと燃え上がる自燃性の人がいます。

何かを成し遂げようとする人は、自ら燃える情熱をもたなければなりません。高校野球では、心から野球の好きな若者たちが、甲子園という大きな目標を目指し、一丸となって生き生きと練習に励んでいます。その姿には、未来への可能性とエネルギッシュな躍動が感じられます。彼らは自ら燃える自燃性の集団なのです。

自ら燃えるためには、自分のしていることを好きになると同時に、明確な目標をもつことが必要です。

 オフィシャルサイト より

 語りや励ましを行うことで子どもたちの心に火をつけることができるため、この語りや励ます技術を磨く必要性があります。

記者会見

 試合後に監督は記者会見を開きます。
 試合での狙いや相手チームの戦術による対応や展開、試合の反省点や良い点、次節にどのように繋げていくのかをコメントします。
 多くはどのような戦術で望みたかったのか。
 苦労した点はどのような場面であったのか。
 勝つためにどのような手を打ったのか。
 監督は自らの戦術や指示についてふりかえります。

 これを学級担任に当てはめて考えてみると”自己分析”につながります。
 授業の後(授業研でなくても)に今日の授業はどうだったのか。
 考えてみる時間を作ることが求められます。

 毎時間は難しくても学級での1日はどうだったのか。1週間はどうだったのか。
 定期的に自分が行った指導についてふりかえる。
 このことを続けていくことで力量が上がっていきます。

 サッカー監督は選手個人を戦犯として名指しで批判することはまずありません。
 担任も自らの指導に目を向けてふりかえることで指導力向上につながるのではないかと考えます。

審判と重なる部分

 監督と重なる部分の次は審判と重なる部分です。

試合前

 サッカーを観戦しに行ったことはみなさんありますでしょうか。
 選手たちも芝の状態などを確認してボールを蹴ったり練習をします。
 その練習の前に審判はフィールドのゴールやゴールネットなどを確認をしています。

 これを学級担任に当てはめて考えてみると”先を見通した配慮”につながります。
 授業が始まる前に教具や教室の環境などを確認して授業に臨む。
 実験する機器に不具合がないのか、数が足りない場合はどのような配慮をするべきなのか。
 事前に子どもたちの学びをイメージすることで授業で配慮するべきポイントが見えてきます。
 また、4月に教室設計をする際には子どもたちの特徴や人数に応じて教室環境を工夫したりします。
 始まる前に確認しておくことで防げるものを防ぐという狙いがあります。

ポジショニング

 審判はボールが来ないスペースに立って試合を捌きます。
 試合展開が早い場合にはピッチの端から端まで全速力で捌けるポイントまで走ります。
 しかし、ボールに触れたり関与する場面はあまりありません。

 これを学級担任に当てはめて考えてみると”目立たない位置”につながります。
 子どもたちが中心になる授業を目指していきたい。
 授業中に子どもたちの学びを止めないように配慮しながら一定の距離をとって子どもたちを見守ります。
 危ないことがあったり指示すべきことがあればすぐに近くに行って子どもたちに声をかけます。

最初の笛

 試合開始最初のファールでの笛は今後の試合の展開に大きな影響が出ます。
 今後の試合でのファールの基準が示されることになります。
 Jリーグで2月のリーグ開幕前に行われるスーパーカップではシーズンの判定基準を示される試合とされています。

 これを学級担任に当てはめて考えてみると”指導する基準”につながります。
 4月の当初子どもたちと生活をする中で指導しなければいけない場面が出てきます。
 子どもたちは教師の叱る基準などをいい意味でも悪い意味でもよくみています。
 この先生はこういったところで叱るんだな、この程度だと叱られないのかというものです。いわゆるヒドゥンカリキュラムです。
 指導する基準はもちろん場面や時期によって変化するものですが学級を1年間の試合で見ると最初の指導の需要性は計り知れません。

試合の捌き方

 知人に審判をしている方がいます。大人の試合を担当するそうですが本当に難しいようです。
 選手に野次を飛ばされたり、サポーターからブーイングをあびることもあります。

 また、プロの試合でも試合が進むにつれて試合が荒れていくこともあります。
 イエローカードやファールが多くなる試合があったり、反対に落ち着いて試合が進むこともあります。
 
 これを学級担任に当てはめて考えると”一貫性と平等性、納得感”につながります。
 子どもたちに指導をする場合にはある程度の一貫性が必要です。
 上記の最初の笛の重要性とも重なってきますが、子どもたちに対してここまではいい。ここまではいけないという基準をある程度持たないといけません。
 また、平等性も必同じことが言えます。
 ある子はいいけれどあの子の場合は叱られたとなると不満が大きくなっていきます。
 実際のサッカーでもサポーターの声が作る雰囲気が判定に少なからず影響が出てしまいます。
 しかし、ダメなものはダメ。許すところは許す。
 この基準や堂々とした立ち振る舞いができているのか定期的に確認することが必要になります。

 最後に納得感です。
 サッカーでも微妙な判定があります。この時に説明が不十分だと試合がどんどん荒れる(荒いプレーが増えていく)のです。
 試合が止まった段階で当該の選手を呼んで詳しく説明をしたり、間違えた時に正直に間違えたと伝えています。
 欧州の一流のレフリーでも誤審をする場面があります。

 担任も気をつけて子どもたちをみていても間違えてしまうことがあります。
 そんな時には正直に謝罪をすることも時には必要です。
 さらに、間違えても許し合えるような関係を子どもたちと築いていく気持ちを持って日々指導をしていくことです。

最後に

 サッカーの監督と審判が学級担任と重なる部分が多いと考えて今回記事を書きました。
 みなさんもサッカーの監督と審判と重なる部分。他の種目での例などありましたら是非教えてください。

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