続 バイクの旅人を 語る - その二、


続編です
元記事

❃ 書きかけ 草稿ですが

❖ 一人

一人で走ることに拘ったわけではない。思いついたら走り出す行き先が、秋の感動を呼ぶ紅葉であったり 人里離れた静かな山村の佇まいであったのだ

そこは見知らぬ土地で、地図の上で夢のように想像をすることしかできないところなら 一滴の冒険心が加われば スパッと家を飛び出している

単に「もっと遠くへ行きたい」をテーマするのではなかった。 未知なる場所は 峠を越えた見知らぬ街にあったのだった

歴史街道にはロマンがあった。険しい道を辿って いにしえの旅人の姿を想像した。四国山中などでは 峠に佇む茶堂で立ち止まって過ぎてゆく時間を忘れた

❖ 自由

旅は、計画の枠にとらわれず無計画で無謀だった。自由に彷徨うように走り出して行く

自然に溶け込みながら 自らに酔いしれるように走る。行き先々で人に出会うものの 私はどこまでも『ひとり』なのだった

何台ものバイクの旅人に出会い 土地の人と語りながら 決して孤独ではなかったけれども どこまで行っても『ひとり』だった

このひとりはちょっとした麻薬だった

❖ ひとり

行き当たりばったりで、思いつきで、わがまま・気ままで、無計画というのが一人旅の醍醐味だ

冒険心を気取って、未知の温泉や酷道を走り回った。それはスリリングであって 分入って行くほどに酔いしれて行ってしまう。山頭火が詠むように「分け入っても分け入っても青い山」に惹かれた

出会う仲間と心を通わせた気持ちになって 共感に痺れていた。けれども ちっとも孤独ではなかった

❖ 陶酔

自由であることが 地図から夢を生みだした

未知な場所へ行き着くには冒険心が必要だった。自分のどこにそんな気持ちが潜んでいたのか、ドキドキして踊る気持ちを抑えながら自らが求める満足をしっかり掴み旅を始めた

日常の中で満たされない何かを忘れ、自らで切り開く道を選んで旅をする。

現実からの逃避と語る人があった。確かにそうかもしれないと共感をした。しかし ひと息ついて振り返ってみると違った答えも浮かんでくる。一人で道を選び、便利なツールに頼らず、自然の中で自分の力や位置を見つめ、愉しむ感触を味わい、自分という人間を独り立ちさせて勇気を掴もうとしたしたのか

未熟だったのだ

自分を目標に描く姿に近づけたい、でも、それは容易いことではない。甘やかさずに理想の姿に歩み寄り夢を叶えていきたい。そのための一つのステージが、旅への陶酔だったのかも知れない

❖ 幸せとは何か

地図の上の閃くところへ走り続けた日々も緩み始める時が来た。エクスタシーは長続きしない

毎日を生きてゆくにあたって 思い通りにならないのはこの世の常で、ストレスという言葉が当たり前に使われる時代を生き抜きながら、思い通りにいかない窮境に紛れもなく追い込まれ、仕事も人生も見つめ直さねばならない時を五十五歳を過ぎて迎える

それは走り回ることへ『飽きた』のかという質問でも投げかけられたのだが、尻上がりのステージではなく むしろ低空での水平飛行の時を迎えたのだと考えた。これを自ら認めることには勇気も必要だったが 開眼したとも言える

子どもが社会に出て 自らの老後の計画を見通すときに 趣味だと言いながら贅沢にもはや旅を続けることに限りがあると見直した

就学中の子どもを家に置いたまま自分だけが休暇をとって旅をした日々が記録にあるだけで、家族で団欒の旅行をしたり休日を過ごした記録は それほどない。夫婦で旅をしたこともなかった。

天命を知る歳を過ぎまもなく定年を間近にして 健康であり家族に寄り添うて生きることを思うと 湯水の如くに沸いてはこない老後の暮らしを如何に工夫するか・・そのことに 少しずつ気がつき始めてゆく

バイクとクルマを処分し キッパリとツーリングから足を洗ってしまったのだ

❖ 旅の姿の変化

ちょうどそのころ、ツーリングのスタイルに変化が出始めていた

バイクの大型化、高速道路の充実、ETCやナビ、ネットによる新しい情報ツールなどがツーリストにも必携になってくる

数時間先の雲の動きを走っている途中で確認ができるのは 想像もしなかったことだ

宿の手配も便利になる。アウトドアブームの到来で野営意識が変化し、キャンプ場は増加するが費用もかかるし、あれこれと窮屈なマナーもできてくる

旅は 地図をたどるところから始まるものだったが 今や旅先情報はどこにも溢れて 利用者の声も氾濫気味になり ツーリングがファーストフード店のスタンダードメニューのように 標準化されたものになってゆく

「Aコース、Bコース、Cコースからご自由にお選びください」というような旅では 昔から求めてきた自由が消滅してしまう

旅をやめようと思った最大の原因は 旅が詰まらなくなったのだった

❖ 二人で旅する

ありふれた旅の本で紹介しているような場所を訪ねて 紹介された店に立ち寄り 食事をして 二人だけの時間を過ごす旅をしようと考えた

クルマやバイクである必要はなかった。列車マニアの真似事もしてみる旅もいいなと考えるようになっている


はじめたころを回想してみよう

1982年の春に

未知なるものに好奇心を向けて、様々な方法によってこの欲求を満たそうとしてきた。そんな気持ちを殆どの人は、もともと持っているのではないだろうか。

山の向こうには何があるのかと、日没になると母親に尋ねた子どもの頃の方が、今よりも遥かに私は、学者だったようだ。

子ども心を棄てきれずに「夢を追い幸せを食べる虫」(自称)である私は、前にある未知なるものを見つめられるよくきく眼と、それを輝かせるに足るだけの涙を、今年もまた追いつづけることになるだろう。

バイクのパティオの挨拶で

旅をする人の心は、誰に聞いてもわからない。ひとりでどこかに出かけてみたい。そう思って夜汽車に乗った二十歳の頃から胸にその鼓動を持ち続けていたらしい。夜行列車のコンパートメントに向かい合わせに座った親子と会話を交わして時が過ぎた。日本海の冷涼たる景色が心に滲みた。

新しい何かに出会えるかも知れない。その気持ちを失わない限り旅が続けられると私は確信する。つまり新しい感動がなくなればその時、私は旅を終えねばならない。

人に出会いたい。でも作られた出逢いは嫌だ。騒々しい人の群がりも嫌だ。滅んでいく景色を見て涙し、生きている事に感謝してしまう。ある意味で、人はひとりで生きて行かねばならないように思う。人間がひとりしか住んでない島を想定して、それを原点に考察しようという「猫柳・無人島哲学」(*)を胸に、すべての秩序や倫理を私は原点に戻そうとしている。

時間を忘れ、文明の利器を排除し、贅沢な道具を自分の判断で取り去って、本当に必要な物を見直し、現代社会を廃れた寂しいものにしてしまったことを反省し、その原因が「富める奢り」にあったのではないかという疑問を、ほんの少しでもいいから実証できれば、私はそれでいい。

心を寂れさせてしまったのは、紛れもなく、実利を追求した現代人の賢さであった。工学の冴えであった。しかし、腹をすかせた私だけにしか見えない物を仮想的でもいいから追いたい。文明を真に理解し、薀畜をたれてみたい。そこにバイクがあるだけだ。

(*)「無人島哲学」については、いつか皆さんと焚火でも前にして、お酒を片手に語りたいものですネ。



私たちは多くのものに質実剛健を求めていた。ひとつの判断には結果の追求があった。結果が良くなければ全てが悪いという。そこで、ことごとくその判断基準に私は抵抗を試みるが、体制や多勢には勝てない。否、勝ち負けではないのだが、敗北感が残った。

だから…

「過程」をもっと見つめなおし、注目してみたいと私は思う。ある時は言い訳にしかならないのかも知れない。それでも構わない。言い訳を分析してみようではないか。

もちろん、言い訳ばかりでもない。その思考の手順、未知なるものへの取組み姿勢、その時の感動を大事にして、たとえ何も得るものがなかったとしても、また再び挑んでみたいという気持ちが残る事が、実は一番大事なんではないだろうか。

儚い人生と思うのか、充実したものと思うのかはその人次第である。パティオにも決して、有益なものばかりが溢れているわけではない。しかし、その2割ほどのなかにきっと輝くものが生まれてくるに違いない。一見、無駄と思える何かが育むものを探して ゆきたい。誰に来てもらっても構わない。読むだけの人があっても結構。流れが遅くていい。焦りもない。時にはセンチメンタルに、時にはロマンに満ちて、くつろげる空間を模索したいと考えている。

ツーリング・レリーフ