バイクツーリストのはじまり
はじめに
人生の大部分をバイクツーリストで過ごした
それを考察してみるか
仕事組織にずっと反発をし続けた時代を振り返ってみる
出会い
(少年時代)
クルマよりも単車の時代だった
単車は遊びの乗り物ではなく生活の道具だった
父はカブに乗って仕事に行った
(少年ジェット)
ジェットのTV映像はほとんど記憶にないが 二丁拳銃を持って悪者(ワルモノ)と闘う姿がなんとも格好良かった
この姿が 少年の心の奥深くに焼きついていたのは間違いない
二丁拳銃を構えて バイクに飛び乗り煙を巻きあげマントを翻らせて走ってゆく
(月光仮面)
正義に立ち向かうオートバイに乗った使者といえば月光仮面でもある
颯爽とやってきて誰かわからないまま去ってゆく
正義の味方は スポーツカーではなく 今ならそれほど格好良くないカブのようなオートバイの乗っていたのだ
高校時代
(通学)
最寄りの駅まではオートバイで六キロほどの距離を通った
雨の日も風の日も、積雪の日もそろりと走ったことがあった
凍結道路で転倒もした。恥ずかしくて陰でこっそり擦り傷を確認していたら 、後から走ってきたちょっとアイドルだった女子(Kちゃん)も同じカーブですってんころりん。スカートも捲れ上がってパンツ丸見えな豪快な滑りをしてしまって 二人で慰め合ったこともあった
(近所)
オートバイに乗っているのは楽しかった。風をきってぶっ飛ばすとスッキリした。後にヘルメット着用が義務化されるが、ノーヘル時代でもフルフェイスを自慢げに被ってみたりしたこともあった。
(道を辿る)
山に行ったり海に行ったりするのが楽しかった。景色の綺麗な海岸沿いの道路や遠くに海が見える見晴らしのよい展望台に行ったりして青春を楽しむ。
(走り回る楽しみ)
走ること自体を楽しみ、近所の地図を見て道を辿り、景色も眺めて走り回った。
事故
(通学途上事故)
通学に使っていたから安全に心がけねばならないのだが、いい気なってスピードを出したりしてしまった。高校二年生の六月の学校帰りに道路脇から出てきた車と接触をして転倒して夏休みになるまで学校を休んだ。右の向こう脛には今でも40針ほどの大きな傷跡が残る
事故をしてしばらくは通学だけで大人しくしていたけど、半年ほどでまた走り回るようになった。そのころから近所の道には詳しかったなあと懐かしい
バイク復活
(京都生活)
大学時代はクルマやバイクには関心を持たなかったというか、お金がないからそんな物に手を出そうなどとは考えもしなかった。就職して京都にきたから、新しい生活を始めようと思ったのだろう。通勤もツーリングもできるバイクを買う
(休日ツーリング散歩)
休日は 周山街道などを走った。京都の周辺には 小さな峠がたくさんあって景色を楽しみながら 二輪の醍醐味を味わうために あちこちに出かけた
初めての旅
(信州)
なぜ信州に行こうと思い立ったのかは 今はわからない
仕事の隙間に連休ができた秋のある日に 何の用意もせずに 旅の経験もないまま 泊まりの旅に出てしまう。高速に乗って 乗鞍高原に向かったのだ
(地図なし、宿アポなし、あてなし)
何も考えていなかったのだ。どこに行きたいと言う目標もない。温泉にも食にも宿にも、全く事前知識もなかった。その旅から、僕の旅のスタイルが始まっていったのだった
信州
(魅せられるもの)
そういうわけで乗鞍高原が初めての旅だった
それが後の自分の人生を全て決めたともいえよう
写真は残っていないが もしかしたら旅館案内所で束になって紹介してもらって大部屋で雑魚寝した時のものがどこかにあるかもしれない
感動的な紅葉、染み入るような温泉、優しい人々、静かな佇まい、楽しく走れる峠道などに出会いツーリングの人生が ここから始まったのだった
1980年代始まりの頃だ
つづく
もう少し続きを書きます