わはくま
mixi で描いたレビュー
読書感想などを
夕立の土砂降りっぽさが大好きで
最終コーナーを回った 人生の最後の回り舞台は回り始めた 幕が上がる時に書こうと思い立つ自伝は、それまでに何度も書こうと挑戦してきたものとは随分と違ったものになろうとしているかもしれない
つぶやきは 堂々巡り
前に出過ぎると嫌がられる出足りないと気づかれない
水難事故の報道が後を絶たないが ボクたちは子供の頃には川で自由に泳いで遊んだものだ あんまし溺れたというニュースはなかった 事故は知らないところで起こっていたのだろうか 甘やかされて育った人類は 危険というものに 鈍感になっているということはないのか
最近そんな呟きをして むかしのツーリストとしての自分の姿を考えている あらゆるものが現在よりも不便で 満ち足りていなかった ツールも グッズも インフラも 変わった 決して昔に戻りたいわけではない 昔が良かったわけでもない さあ 続きは あっちのブログで考えます
宵々山
四十年ほど昔のツーリングマップを捨てられずに持っている
続4・なぜ温泉なのか 花も嵐もⅡ その45 温泉を回想すると東北の温泉が思い出される。 すべて混浴露天のワイルド系ばかり…を選んだわけではないのに。 この頃は貴重品もバイクのタンクバックの中に入れっぱなしで カメラも財布も無防備でした。 湯の倉温泉 銀山温泉 藤七温泉 乳頭温泉郷 奥薬研温泉 酸ヶ湯温泉 大沢温泉 夏油温泉 蔵王温泉 滑川温泉 姥湯温泉 木賊温泉 順を追って思い出してみる。 1,2行程度にまとめるのが難しい… 湯の倉温泉 中川
ポツンとを考える前に 考えていたのは・・ ❑ を引き継いで さて 「ポツンと」を考えていこう ❑ 都会を捨てて……と書きはじめて 「ちょっと待てよ 都会を『諦めて』という人もあるのかもしれない」と思う そうだ!都会に憧れて六年間も都心に通学(下宿)したボクとしては 都会を離れるにあたって正反対の二つの心があったのだった もちろんそれは後年になって悟りが開けるに従って然程 重要でもなくなるのだが 「都会は捨てるもの」だ 憧れを持って上京をして都会にある数少ない
ビアガーデンの季節を迎えた 学生時代気の置けない仲間が集まって乾杯をした 「カンパーイ」 隣のテーブルでも女子大生たちが景気良く盛り上がっている 「カンパーイ」 グラスを突き出してガシャンとなった瞬間に ジョッキが割れてビールが飛び散った・・・ そんなこともあったなあ