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季節終わりの河豚と、仲卸のクッシーと。

定期的に河豚と向き合っている。シーズン終わりにも朝一で電話があるのは、このコラムでも同じみの河豚の串田さんことクッシーからだ。「愛媛でいいのがあがったから、送るよ、」八幡浜の豊後水道、たったの一本だけ水揚げ。おそらく今年最後だろう。寝かす前に送ってもらい、自分のバランスで寝かしていく。僕は皮と胸肉のカエルなどは先に食べてしまう。皮はガスで炙って京都な焼肉にして、そして胸肉はグリルする。もっと淡白な若い養殖の河豚などは揚げてもいいのかも知れないが、このクラスになると丁寧に火を入れた方が美味いと思っている。

身は状態をみてもう少し寝かせる。おそらく明日か明後日ぐらいがターゲットだ。焼き上がりのカエルを食べてみる。カエルといっても形状がカエルの足に似ているだけであって、似て非なるものだ。この芳醇な味は鶏肉でも味わったこともないし、ましてや魚でも似た魚はいない。動物性タンパク質という言葉ぴったりな純粋な肉だ。肉質がさらっとしていて、脂は全く感じないが余韻でかすかな脂を追い求めている自分がいる。そんな肉質だ。

和牛の対極的な存在だ。火にも強いけど、繊細だ。寝かせるけど、ヒネたり乾燥したら終わりだ。そして丸で食べられる究極の海の食材、それが河豚だろう。今日はそんなクッシーとのシーズン終わりの会食だった。彼がこよなく愛するビストロにてワインと日本の幸を食してから、食べ足りない僕は彼のいきつけの町寿司に繰り出していく。娘がゼロ歳のときに来た以来の町寿司だ。寿司の距離みたいなものを熱く語るクッシー、初年度の売上を聞いて思わず笑顔になる、彼は120%ぐらいのが御祝儀だよ、はまちゃんと言うが、紛れもなく彼の今までの実績と信頼が成し得た数字だと思っている。そんな彼から残りの人生の話を聞く、誰と過ごしてどうやって行きていくかが重要。

ストレートにまっすぐに伝え続けていく努力、そんなものが彼の河豚の仕事に常に宿っているのだと思う。人間、回り道も必要だが、できる限りダイレクトに力を伝え続ける、そんな当たり前の近道が求められている。そんなことを彼からまたあらためて教えてもらうのだった。


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